いかに白煙を演出するかが当時の基本
わざわざリヤを滑らせて、タイヤの出す白煙と角度と速さで競い合う。今でこそFIA競技にもなった「ドリフト」は、もともとストリートで生まれた「お遊び」だった。S13シルビアに180SX、マークII兄弟やハチロクなどで楽しんでいた、当時の少しアンダーグラウンドな世界を振り返りたい。
雑誌社主催の3大大会で目立つが勝ち!
ドリフトの最高峰といえる「D1GP」がスタートしたのは2001年。その前身は「プロドリフト選手権」だ。当初はストリートの香りを色濃く残していたが、徐々に改造を含むレギュレーションが整備され、並行して車両のポテンシャルも高まっていった。そして、20年経った今では、ひとつの自動車競技としての立場を確立したのである。
では本格的に競技化された当初や少し前である2000年ごろ、一般的なドリフト車両とはどんな作りだったのだろう。
まだ「D1GP」が始まる以前、CARBOY誌の「ドリコンGP」やビデオOPTIONの「いか天」、そしてヤングバージョン誌の「STCC」が3大ドリフト大会と言われていた。上位に入れば走り好きの間で一躍有名人。そこで頭角を現し、現在もスーパーGTなどで活躍しているレーシングドライバーもいる。いかに目立つか。いかに走りやすくチューニングするか。まだまだ未熟な成長途中のカテゴリーの中で、参加者は試行錯誤した。
リヤスポレスのシンプルな仕様が大流行した
パーツやスペックといった定番の仕様、そしてエアロなどのスタイルにも流行があった。
まずはエアロパーツから。もっとも流行が変遷したのはリヤスポイラー(以下リヤスポ)だ。1990年代は「B-WAVE」に代表されるベタ付けの巨大なリヤスポが一世を風靡した。それに対するアンチテーゼか、次の世代はリヤスポレス、つまりエアロを装着しないシンプルなスタイルが注目されるようになる。
以降はハイパワー化したエンジンの能力を生かすべく、角度の調整ができ脱着も容易なGTウイングの装着が増える。前後バンパーやサイドステップは純正のラインを崩さないタイプか、車体をよりワイド&ローに見せる「裾広がり」系が人気を二分。前者を代表するブランドが「ヴェルテックス」や「GPスポーツ」なら、後者は「BNスポーツ」で、いずれもサーキットを席巻する人気だった。
オールペンやステッカーチューンが人気に
カラーリングも現在はスポンサーのロゴが多く、どちらかといえばレーシングカーに近い。しかし昔は他車種を含む純正カラー、もしくは派手なメタリックやキャンディが主流。AE86ではさらに古いドリフトの黎明期から続く、マットな艶消しも人気だったことを追記しておきたい。
それ以前はリヤウインドウ一面に交流のある「チーム」のステッカーを大量に貼るのも、ドリフト仕様ならではのドレスアップとして一時代を築いた。
シャコタン&引っ張りタイヤでアピール
では走りに重要な足まわりはどうだったか。
今でこそ少し車高は高めでストローク量を確保するのが、コントロールしやすく競技に向いたスタンダードな仕様。しかし昔の「ドリ車(ドリフト仕様のクルマのこと)」はベタベタのシャコタン、鬼キャン、深リム、引っ張りタイヤが王道。
「いかに滑らせるか」で廃タイヤが人気に
現在の「競技」となって、前後とも同一ブランドでハイグリップタイヤが当たり前だが、昔はグリップさせたいフロントも中古、リヤに至っては中のワイヤーが出るか出ないかの廃タイヤを選ぶユーザーも多かった。当時はエンジンノーマルでパワーを上げていない場合も多く、リヤタイヤはグリップしないほうが容易にドリフトできたのだ。
現在の競技では車速も重要な審査の基準になるし、追走となれば相手に離されないことも必要。しかしそれはドリフトの技術が全体的に向上し成熟したからこその話だ。
昔はタイヤスモークを激しく出して、コーナーをドリフトすることがギャラリーに受けまくった。だから行きつけのガソリンスタンドで廃タイヤを無料でもらったり、ローパワーの車両なら古いスタッドレスを使うなんて人もいた。大きな大会前にはその廃タイヤをさらに水につけ、カチカチに硬くして挑むなどの強者もいたのだ。
ホイールサイズも純正もしくは1インチアップ程度で、深リムのホイールに引っ張って履かせる。キャンバーもピロアッパーマウントは全開で、取り付けブラケットを長穴に加工したり、あの手この手で『ハの字』を切らせていた。
タービンやブレーキも他車種を流用
エンジン系もマフラー・エアクリーナー・コンピュータという三種の神器で、ターボ車ならブーストアップやせいぜいポン付けタービン交換までが圧倒的な多数派。違うエンジンに載せ替えるなんてレアケースだし、パワーも400psもあれば「スゲ~」と話題になったと記憶している。
S13シルビアや180SXなら、S14シルビアやパルサーGTi-Rの純正タービンか、HKSのGT-SSもしくはトラストT517Zに交換すれば、いっぱしの「ドリ車」となった。
前置きインタークーラーが増えたのもこの時代だったはずだ。マフラーはそれまでのメインストリームである大口径&砲弾型から、ローダウンが激しくなるにつれ路面に擦りにくいデュアル出しや、小さめのサイレンサーへと移り変わる。パイピングをボディ側へ近付けたり、フランジの形状をできる限り小さくするなど、低い車高に対応するため各メーカーが努力を重ねていた。
ブレーキも社外のビッグキャリパーはあまり見かけず、シルビアや180SXにGT-R純正やAE86にFC3S純正の流用が多い。これもエンジンのチューニングが過度に進んでおらず、ブレーキの負担がさほど大きくなかったことが主な理由だろう。
ドリフトのきっかけ作りに使うサイドブレーキも、最近の本格的な競技車では大半が油圧式を採用しているが、以前はリヤのブレーキパッドにロックしやすいジムカーナ用を使ったり、ロックボタンをフリーにする『スピンターンノブ』が一般的だった。数え切れない試行錯誤や発展途上の時代を経て、現在のような世界基準ともいえるドリフト仕様に進化した。
黎明期はかなりアンダーグラウンドな世界だったが、それがまだ少しだけ許されていた時代。今より「ドリフト」が身近な存在だったのである。