ノーマルでは遅くて乗れないR32GT-R NISMO
「R32スカイラインGT-R NISMOについて書いてください」という依頼が来た。「あれは改造しなけりゃ遅いしさぁ、よっぽどパルサーGTI-RやブルーバードSSS-R(後期型のSR20DET搭載車)のほうが、素の状態では速いと思ったけど」と断るつもりだったが、改めて振り返ってみようと思う。
R32に課せられたふたつの使命
1989年、16年振りに復活したGT-Rブランドに世のクルマ好きは歓喜した。R32スカイラインGT-Rである。このR32GT-Rが掲げた開発目標は、世界トップクラスのロードカーであること。そしてそれを証明するためにレース「グループA」で他を寄せ付けない強さを持つこと、とされた。
グループAは当時、世界的にもツーリングカーレースの頂点に位置するカテゴリーだった。ただし、あくまで市販車がベースであり、現在のスーパーGTマシンに比べれば、かなり改造内容も狭いものだった。このため自動車メーカーは、あらかじめレース仕様に改造した際に有利になるスペックを市販車に盛り込む必要があった。主なところでは、エンジンの排気量やターボチャージャー、駆動方式のほか、空力デバイスである。
さらに、このレースに参加するためには「連続する12カ月間に5000台以上生産された4座席以上の車両」として、ホモロゲーション(公認)を取得する必要がある。しかも、5000台生産した後にFIAに申請しなければならなかった。
レーススペックを盛り込んだクルマを作るとなると、この5000台という数は自動車メーカーにとって大きな負担となる。ところが、そこには抜け道があった。
グループA優先のエボリューションモデル
FIAでは、正常進化版というべきエボリューションモデルの追加を認めていたのだ。しかも、その条件は「スポーツエボリューション(ES)には、500台以上の追加生産が必要」となっていた。この500台にさらに特殊なスペックを盛り込めば良いのである。
こうした点を踏まえれば、1989年に登場したR32スカイラインGT-R(基準車)は、ホモロゲーションモデルである。エンジンは2568ccという中途半端な排気量を与え、大きなレースタイヤを装着できるようなワイドなフェンダーやエアロパーツを装着。さらに600ps以上の大パワーを路面に叩きつけるための電子制御トルクスプリット4WDシステム「アテーサE-TS」などを盛り込んだ内容となっていた。
翌1990年には500台限定で「GT-R NISMO」を追加する。これが500台を生産すれば良いスポーツエボリューション(ES)にあたる。
エンジンにはレース仕様にした際に600ps以上を確保できる大容量のメタルターボを採用。空力デバイスとしてサイドシルプロテクター、リヤの小型スポイラーなど基準車とは異なるエアロパーツを装着。さらにインタークーラーやラジエータの冷却性能を高めるフードトップモールやフロントバンパーダクトを追加した。
また、レースには必要とされない装備の簡略化も行われた。ABSの廃止、エアコンとオーディオの未装着、リヤワイパーの廃止などである。ちなみにこの時代、ABSはまだレースフィールドでは必要のないものとされていた。