陸サーファー仕様が若者に大人気!
マツダ・ファミリアは、マツダを支える中核車種だった。戦前戦後を通じて同社が評判を得たのはオート3輪車で、それに次いで4輪自動車へ参入を果たした際の車種は、軽自動車のキャロルと小型車のファミリアだった。ことに乗用車ファミリアは、イタリアのカロッツェリアであるベルトーネが外観の造形を担った。ベルトーネといえば、フェラーリやランチャ・ストラトスなどの造形で知られる。
2代目はロータリーエンジンを搭載していたモデルもあった
ファミリアの2代目は、ロータリーエンジン搭載車が加わる。コスモスポーツに次ぐロータリーエンジン車第2弾であり、小型乗用車という身近な存在のロータリーエンジン車として画期的なできごとであった。ところが、排出ガス規制や低燃費時代となり、ロータリーエンジンに厳しい時期が訪れると、以後のファミリアは存在感を薄くしていった。
日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車した5代目ファミリア
そこから一気に挽回を果たし、一世を風靡したのが1980年の5代目であった。それまで小型ハッチバックではあっても後輪駆動(RWD)であったが、5代目から前輪駆動(FWD)となり、四角く明快で簡素な外観と、FWDを活かした広い室内、高い走行安定性をもたらす独創のリヤサスペンションなど技術の裏付けを持ち運転を楽しめる一台となった。その評価は、1980年が第1回となった日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車として称えられたことからもうかがえる。
FWDの小型ハッチバック車では先輩格であったホンダ・シビックが、この時期2代目で、初代からの正常進化によって目新しさが欠けていたこともあるが、発売からわずか2年間でファミリアの生産台数が100万台を超えたことからも、人気のほどがうかがえる。
陸サーファーで話題となったファミリア
ファミリアは社会現象になるほどの一大ブームを巻き起こした。街にはどこを見てもファミリアであふれ、ことに人気の高かった赤いファミリアの屋根にサーフボードを載せ、実際はサーフィンなどしない「陸サーファー」という造語が生まれたほど、誰もが乗りたがる格好よさの先端を走る小型ハッチバック車であった。米国やオーストラリアでもカー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。
その存在が強烈すぎてなのか、以後、正常進化していくファミリアの人気は回復することなく、2004年でファミリアの名は途絶え、以後、アクセラが小型ハッチバック車を担うことになった。そのアクセラも現在では世界共通のマツダ3と車名を変更し、マツダ独創のHCCI(予混合圧縮着火)技術であるSPCCI(火花点火圧縮着火)を搭載し、かつてのロータリークーペ時代を思い起こさせもする。
だが、価格の上昇と期待された性能をSPCCIで実感しきれない側面もあり、苦戦し、電動化へ向かう時代を牽引しきれずにいる。