伝説の男達が手がけた「傍流」のクルマを振り返る
クルマの開発には総責任者がいて、陣頭指揮を取って作られていく。映画に例えれば監督で、歴史を振り返ってみると、名車を作り上げた伝説的な開発者はいて、現在にも名を残している。ただ、そのような名開発者でも、あくまでも会社員ではあるのでさまざまなクルマを担当していたりする。なかには実用車もあって意外なことも。今回は、名開発者が作った思いも寄らないクルマたちを見ていこう。もちろん実用車でも名開発者が担当すればひと味違ったクルマになっているはずだ。
櫻井眞一郎:日産4代目ローレル
故・櫻井眞一郎氏(2011年逝去)はミスタースカイラインとして今さら説明する必要はないだろうが、車種というよりもジャンルを作ってしまったこともある。それがコンクリートミキサー車。プリンス自動車に入社する前は清水建設にいて、そこでまずコンクリート製造機を開発。さらにコンクリートを練る、コンクリートミキサーをトラックのシャーシに乗せることを思いつき、作り上げた。車種としてはスカイライン以外に、C31型の4代目ローレルを担当した。シャーシを共有していたからなのだが、アカ抜けたクリーンなスタイルに仕上がっているのはさすがだ。
伊藤修令:日産初代プレーリー
櫻井氏の一番弟子が伊藤修令氏。R32などを手掛けて名を馳せたが、旧プリンス系が開発担当だったこともあって、元祖日本のミニバンである1982年登場の初代プレーリーも担当。そのほか、初代マーチも担当。こちらは旧ブリンスの拠点だった荻窪事業所で開発された最後のモデルとなる。
平井敏彦:オートザムAZ-1
初代ロードスターを作り上げたのが平井敏彦氏。発売から4年後には退職したこともあって、ロードスターのイメージが強いが、AZ-1の開発も担当した。順番でいうと、ロードスターのあとにAZ-1を作り上げている。もともとはトラックやファミリアに関わっているが、途中でディーラーに出向しつつも、あくまでも基礎設計ひとすじ。最後にスポーツカーを担当した形だ。