伝説の男達が手がけた「傍流」のクルマを振り返る
クルマの開発には総責任者がいて、陣頭指揮を取って作られていく。映画に例えれば監督で、歴史を振り返ってみると、名車を作り上げた伝説的な開発者はいて、現在にも名を残している。ただ、そのような名開発者でも、あくまでも会社員ではあるのでさまざまなクルマを担当していたりする。なかには実用車もあって意外なことも。今回は、名開発者が作った思いも寄らないクルマたちを見ていこう。もちろん実用車でも名開発者が担当すればひと味違ったクルマになっているはずだ。
櫻井眞一郎:日産4代目ローレル
故・櫻井眞一郎氏(2011年逝去)はミスタースカイラインとして今さら説明する必要はないだろうが、車種というよりもジャンルを作ってしまったこともある。
伊藤修令:日産初代プレーリー
櫻井氏の一番弟子が伊藤修令氏。
平井敏彦:オートザムAZ-1
初代ロードスターを作り上げたのが平井敏彦氏。
長谷川龍雄:トヨタスポーツ800
故・長谷川龍雄氏(2008年逝去)は初代カローラを担当し、80点主義という言葉までも生み出したが、トヨタスポーツ800、ヨタハチも担当している。
百瀬晋六:富士重工業ふじ号
自動車メーカーとしてのスバルの礎を築いたのが故・百瀬晋六氏(1997年逝去。下の写真一番左)。スバル360の開発を担当したのは有名だ。
多田哲哉:トヨタ2代目ウィッシュ
最後は最近の開発者を見てみることにしよう。86やスープラなどを担当して、トヨタにおけるミスタースポーツカーと言えば、多田哲哉氏だ。