現代のSUVブームの前身「都会派ライトクロカン」【ダイハツ・ロッキー(初代)】
初代ダイハツ・ロッキーも、完全に絶滅危惧車種だ。中古車市場でも、もうほとんど見ることができなくなってしまった。
ダイハツのロッキーといえば、販売が絶好調な1LクラスのコンパクトSUV。現在ではごく一般的になった、モノコックボディのFFハッチバック車を、ワイルドに装ったクロスオーバー車である。しかし、初代ロッキーは、ランドクルーザーやジープのような悪路に強いラダーフレームを備えた、本格的なRV(クロスカントリー車)だった。
初代ロッキーのデビューは1990年。1970年代以降のレジャーブームも後押しして、RVにも乗用車のような快適性が求められ始めていたことから、1983年の「三菱・パジェロ」登場以降は、「スズキ・エスクード」や、このロッキーのように、オンロードや都市部での使用を前提とした車種が増えていた。しかしロッキーはあくまでも中身はハードなRV。外観は無骨で、車体後半が取り外せる仕様まであった。
なお、とてもややこしいことに、海外では「ダイハツ・ラガー」をロッキーと呼んでいた。ラガーは、ジープさながらのワイルド&タフな4WDだった「ダイハツ・タフト」の後継で、快適性を備えたパジェロクラスのRVだった。そのタフトも、いまや軽のSUVとしてネーミングが復活。こちらも人気を博している。
夢、破れる……しかし残した遺産は大きい【日産・フォルクスワーゲン・サンタナ】
自動車メーカーの歴史は、他社との吸収・合併・提携・再編などの繰り返しだ。その対象は国内だけでなく、海外のメーカーも含まれており、1970〜80年代にかけての日産も、海外戦略のためにアルファロメオやフォルクスワーゲンと提携を進めた結果、いくつかの協業車種を生み出している。
フォルクスワーゲンからは、本国ドイツ(当時は西ドイツ)では5ドアハッチバックとワゴンしかなかった2代目「パサート」のセダン版だった「サンタナ」が供給されることになり、日産の座間工場で年間6万台ほどをノックダウン生産することを決定。1984年から日本での販売が開始された。なおパサートとデビュー時のサンタナは、ヘッドライトやグリル、バンパーの意匠が異なっていた(サンタナ後期型では、パサートと同じ顔になる)。
もともとがフォルクスワーゲンのフラッグシップで装備も豊富、上級モデルでは5気筒エンジンも搭載していたサンタナ。同クラスの輸入車「アウディ80」よりもぐっと買いやすい価格に設定されていたものの、当時はまだ輸入車が今ほど受け入れられておらず、初期に頻発した「故障が多い」というイメージも拭えず、販売は低空飛行。1989年までに合計5万台ほどが売られたのみで、その生涯を終えた。それゆえ、サンタナも現在では、絶滅が危惧されるクルマである。
確かに日産がこのクルマにかけていた期待に比し、結果はイマイチだった。しかし日産はサンタナで「ドイツ車のクルマ作りを学んだ」とされ、パッケージに優れ、極めて欧州色が強かった初代「プリメーラ」の開発に大きく寄与した。サンタナが残した遺産は大きかったのだ。
使用シーンが思い浮かばない? 2シーターの本格クロカン【スズキ X-90】
1990年以降、各メーカーからは「試しに出してみよう」的な車種がたくさん登場。車種を削り、ニューモデルも売れ筋に絞られ、冒険が少なくなった現代とは大違いだ。でも、今考えてもいくらそんな時代だったとしても「これをどうして売ろうと思ったのか」というクルマが販売されていた(しかも何車種も)。スズキの「X-90」はその最たる一台かもしれない。 1995年から販売されたX-90は、なんと2シーターのRVだった。ベースはエスクードなので、シャーシはラダーフレームだったが、その上には丸っこくてオフロード車らしくないボディを載せていた。しかもルーフはTバー式で、外せば開放感は抜群。内装も乗用車ライクなものだった。
しかし案の定、中身はRVだから悪路走破は得意、だけど性格はオンロード寄り、RVなのに2シーターで実用性は低い……という謎コンセプトが受け入れられることもなく、わずか2年ほどで販売を終了。その台数は1400台に満たないというのだから、当時から珍車だった。
では、なぜ発売に踏み切ったのかというと、このクルマはもともとコンセプトカーで、展示したところ欧米での反応が良かったから。でもその欧米でもX-90は売れず(非情)、1998年頃には輸出を停止。メイン市場と見込んだアメリカでさえ、7000台ほどが販売されたに留まった。 そんなX-90は、もはや完全に絶滅種だ。イベントなどで見かけることも奇跡に近い。路上で見たら超ラッキー。きっといいことがあるに違いない。