やがて大挙して押し寄せる日本のGr.A勢
翌1975年にはチーム・トヨタ・アンダーソン・モータースポーツはTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)へと発展。1974年のRACラリーからは16バルブのスペシャルヘッドを組み込んだ2T-G改エンジンを搭載したカローラ・レビン(TE27)のグループ4仕様がデビューしました。
翌1975年の1000湖ラリー(現・ラリー・フィンランド)でTTEとして初優勝を飾っています。これはトヨタ・ワークスとしても初のWRC制覇となりました。
その後、セリカのグループ4仕様へと競技車両をコンバートしながら80年代前半は、とくにサファリ&アイボリーコーストのアフリカ・ラウンドでは、無敵のラリーカーへと成長させるとともにTTEもWRCのトップチームのひとつに成長していきました。 80年代前半には、競技車両の車両規定がグループ4/2からグループB/Aへと大きく変更されています。そして、グループBが極限まで先鋭化して最終的には消滅。グループAによるバトルへと新たなスタートを切り、さらにWR(ワールド・ラリー)カーへと車両規定は変遷していきます。そして日産の活動は少し縮小されることになりますが、日本メーカーはトヨタに加えて三菱とSUBARUがWRCにフル参戦してワールドタイトルを獲得してゆくことになります。またグループAで着実にクルマを進化させていたマツダも初優勝を遂げ、最後発となったスズキもF2キットカーを経てスーパー1600でジュニアWRC(JWRC)チャンピオンを獲得することになるのですが、その辺りはまた次回に紹介することにしましょう。