幾度ものモデルチェンジ 風評かまびすしいほどの人気
1961年に登場したEタイプは、1968年と1971年にビッグチェンジが施され、それぞれシリーズ2、シリーズ3へと発展していきました。そして同時にオリジナルモデルはシリーズ1と呼ばれるようになりました。シリーズ1の中でも1964年にはエンジンが4.2Lに拡大されるマイナーチェンジが行われています。
そしてシリーズ3に移行した際には4.2Lの直6から5.3LのV12にコンバートされています。結果的には、このシリーズ3がジャガーEタイプの最終形となりましたが、シリーズ1からシリーズ3への進化を、最大のマーケットである北米への迎合とする厳しい意見も一部では囁かれることになりました。
確かに、北米の安全基準に合わせた変更が多く、またエンジン排気量を拡大したことに合わせて冷却系が強化され、最終モデルでは大型のラジエターに合わせてフロントのラジエターグリルが大型化され、賛否それぞれの意見が喧しかったことが記憶に残っています。ちなみに、シリーズ1も末期となる1967年には、細かな変更が何度か繰り返されています。これらのモデルは、シリーズ1からシリーズ2に移行する中間的な仕様としてシリーズ1.5と呼ばれる分類法も一般的になっています。
実績に裏付けられた孤高のスタイル
その流麗なスタイルからは、スポーツカーというよりもグランドツーリングカーというイメージが強いEタイプですが、実はさまざまなレースで活躍していました。
まずは市販車がジュネーブショーでお披露目される前年、1960年のル・マン24時間にはB.S.カニンガム・チームからダン・ガーニーらのドライブでジャガーE2Aと呼ばれるプロトタイプが参戦しています。これはジャガーがレーシングスポーツのDタイプの後継マシンとして開発していたもので、スタートから10時間経ったところでエンジントラブルによりリタイアしていますが、一時は3位を走行するなど注目を集めています。実はこのE2Aの市販モデルがEタイプだったのです。
市販モデルがデビューした後も、よりポテンシャルを引き上げたロー・ドラッグ・クーペ=文字通り空力を一層追求したボディを纏ったモデルや、ライトウェイト=こちらも文字通り軽量化を追求してボディをアルミ製に交換したモデル、といったスペシャルモデルをリリースしています。CタイプやDタイプほどの好成績を残すには至りませんでしたが、それでもアストン・マーチンとともにイギリスを代表するスポーツカーとして、さまざまなレースで活躍することになりました。
なかでも北米で開催されていたSCCAのスポーツカーレースで、ボブ・トゥリウスがチャンピオンを獲得したグループ44の活躍は、その後、ジャガーXJSでトランザムに挑戦し、さらにはジャガーXJR-5を製作してIMSAの挑戦へと続いていく一大歴史絵巻のプロローグとしても記憶されています。