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まさに「絶世の美女」! ジャガーEタイプは何故「世界でもっとも美しいスポーツカー」と称賛されるのか

速さがにじむ流麗ボディだからこそ美しい

 ロングノーズ&ショートデッキのシルエットが、世界で最も美しいスポーツカーと高い評価を受けてきたジャガーEタイプ。1961年の誕生から今年でちょうど60年ということもあり各地で記念イベントが開催されています。先ごろ行われたオートモビルカウンシル2021でも「ジャガーEタイプ誕生60周年セレブレーション」と題して1963年型Eタイプ・ロードスターS1 3.8。1962年型Eタイプ・レーシング・モディファイド・クーペ。Eタイプの先祖にあたるXK120の、1952年型のロードスターと1953年型のフィクスドヘッド・クーペ。そして兄弟ブランドであるデイムラーからは1972年型のダブルシックス・サルーンのシリーズ1ロングホイールベース、と計5台が展示されていました。今回は、ジャガーEタイプの来し方行く末について紹介することにしましょう。

ル・マン優勝の血統で「Eタイプ」誕生

 最初に触れたようにジャガーEタイプが誕生したのは1961年の春。ジュネーブショーでお披露目されています。当時ジャガーのモデルラインアップとしては、スポーツカーのXKシリーズとサルーンのMkシリーズ、そしてレーシングスポーツのDタイプがありました。もう少し詳しく言うとXKシリーズでは1957年にデビューしたXK150。Mkシリーズでは1958年にデビューしたMk Ⅸが最新モデルとして販売されていました。

そしてXK150の後継モデルとして開発されたのがEタイプでした。それではなぜXK、例えばXK160を名乗らなかったのでしょうか?

 そこにはジャガーの創設者であるサー・ウィリアム・ライオンズの営業戦略があったのです。それはレースで好成績を挙げていたCタイプやDタイプのイメージに重ねようとしたものだったのです。

 ちなみにCタイプは1951年と53年のル・マン24時間を制していたし、Dタイプも1955〜57年にル・マン3連覇を果たしていて、特に57年は1~4位独占という強さを見せつけていました。 そしてDタイプにはXKSSと呼ばれるロードゴーイング版も用意されていましたから、Eタイプはまさにスポーツイメージの高いネーミングだったのです。 Eタイプのメカニズムについても紹介しておきましょう。フレームはスチールパネルをプレスして成型したモノコックとチューブで組んだスペースフレームを組み合わせたもので、長いノーズ部分には長年にわたってジャガーの基幹エンジンとなっていた直6ツインカムのXKエンジンをマウント。当初は3.8L版が使用されていましたが3年後には4.2L版にコンバートされることになりました。ちなみに最高出力は、ふたつの仕様で変更はなく265psと公表されていました。

 シャーシに組付けられたサスペンションは、前後ともにダブルウィッシュボーン式で、フロントはトーションバー、リヤはツイン・コイルスプリングで吊られた4輪独立懸架となっていました。そして前後ブレーキには、ダンロップ製のディスクブレーキを採用、最高速が150mph(約240㎞/h)、0~60 mph(0 ~ 96 km/h)加速が6.4秒という高いパフォーマンスにも対処されていました。またホイールに、センターロック方式のワイヤースポーク・タイプを標準装着していたのも大きな特徴でした。

幾度ものモデルチェンジ 風評かまびすしいほどの人気

 1961年に登場したEタイプは、1968年と1971年にビッグチェンジが施され、それぞれシリーズ2、シリーズ3へと発展していきました。そして同時にオリジナルモデルはシリーズ1と呼ばれるようになりました。シリーズ1の中でも1964年にはエンジンが4.2Lに拡大されるマイナーチェンジが行われています。

 そしてシリーズ3に移行した際には4.2Lの直6から5.3LのV12にコンバートされています。結果的には、このシリーズ3がジャガーEタイプの最終形となりましたが、シリーズ1からシリーズ3への進化を、最大のマーケットである北米への迎合とする厳しい意見も一部では囁かれることになりました。

 確かに、北米の安全基準に合わせた変更が多く、またエンジン排気量を拡大したことに合わせて冷却系が強化され、最終モデルでは大型のラジエターに合わせてフロントのラジエターグリルが大型化され、賛否それぞれの意見が喧しかったことが記憶に残っています。ちなみに、シリーズ1も末期となる1967年には、細かな変更が何度か繰り返されています。これらのモデルは、シリーズ1からシリーズ2に移行する中間的な仕様としてシリーズ1.5と呼ばれる分類法も一般的になっています。

実績に裏付けられた孤高のスタイル

 その流麗なスタイルからは、スポーツカーというよりもグランドツーリングカーというイメージが強いEタイプですが、実はさまざまなレースで活躍していました。

 まずは市販車がジュネーブショーでお披露目される前年、1960年のル・マン24時間にはB.S.カニンガム・チームからダン・ガーニーらのドライブでジャガーE2Aと呼ばれるプロトタイプが参戦しています。これはジャガーがレーシングスポーツのDタイプの後継マシンとして開発していたもので、スタートから10時間経ったところでエンジントラブルによりリタイアしていますが、一時は3位を走行するなど注目を集めています。実はこのE2Aの市販モデルがEタイプだったのです。

 市販モデルがデビューした後も、よりポテンシャルを引き上げたロー・ドラッグ・クーペ=文字通り空力を一層追求したボディを纏ったモデルや、ライトウェイト=こちらも文字通り軽量化を追求してボディをアルミ製に交換したモデル、といったスペシャルモデルをリリースしています。CタイプやDタイプほどの好成績を残すには至りませんでしたが、それでもアストン・マーチンとともにイギリスを代表するスポーツカーとして、さまざまなレースで活躍することになりました。

 なかでも北米で開催されていたSCCAのスポーツカーレースで、ボブ・トゥリウスがチャンピオンを獲得したグループ44の活躍は、その後、ジャガーXJSでトランザムに挑戦し、さらにはジャガーXJR-5を製作してIMSAの挑戦へと続いていく一大歴史絵巻のプロローグとしても記憶されています。

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