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124日間の珍道中! R32GT-Rで「車中泊」しながら「下道」で日本一周した夫婦

人生の集大成から一転2周目も目指す!

 クルマ好きなら一度は憧れるであろう、愛車での日本一周。2018年にそれを実現した夫婦がいる。しかも高速道路を使わず下道&車中泊と決めて。56歳で得たR32スカイラインGT-Rという最高の相棒と共に、無謀とも思える冒険に繰り出したふたり。素敵な出会いと2ドアでの車中泊という珍道中。なぜ、この日本一周の旅を決意したのか? その先に何が見えたのか?

病気で仕事引退後、心の穴を埋めたGT-Rの旅

 鞆憲明さんがBNR32で日本一周を決意したのは2017年。鞆さんが68歳のときだ。その1年前まではとにかく働いていないと落ち着かない、そんな仕事人間だった。建築関係のサラリーマンだった鞆さんは35歳で独立し運送業を営む。

「夜中の0時から働きました。朝には一つ終わりますから、そこからもう1件。夕方くらいまで働いていたワケです」まさに仕事の鬼だ。そんな疲れた体を癒すべく、56歳でR32GT-Rを手にしてからは、休みの日になれば夫婦で温泉に出掛けるようになった。「とにかく運転するのが好きで、走るのがストレス解消。休みの度に日帰りで温泉に出掛けていたので、すぐに近県は行き尽くしましたね。そうなると、今度は3~4日休みがあれば必ず温泉旅行。もちろんR32で自走です。子供たちも独立して夫婦ふたりでしたから、九州、北陸、東北、青森までは足を延ばしていました」

 67歳で仕事を引退した。「もっと働くつもりでしたが、毎年行っている人間ドックで引っかかったんです」前立腺がんだった。あまり体に負担のかからない手術で治るというので、会社と相談して2カ月間休むことに。手術は5月11日。しかし鞆さんは3月から休みをもらった。手術が終わっても動けるようになるのかもわからない。自覚症状がなかったので、今なら痛くも痒くもない。手術の前に遊びに行こう、鞆さんはそう考えた。「それで2週間北海道に出掛けました。もちろんGT-Rで。舞鶴からフェリーに乗り小樽まで行き、時計回りで一周。しかし2週間で北海道は堪能できません。また行こうと妻と約束しました」

 手術は成功。退院して1週間ほど休み、また仕事に復帰した。しかし……。「その年の12月、恒例の人間ドックでまた問題が出ました。胃カメラで撮影しているときに、ちょっと組織を取っておきましょう、と。今度は胃。1年で立て続けに2カ所もがんが見つかりましたから、当時世話になっていた会社に気の毒で働かせられない、もう引退してゆっくりしろと言われまして」

 幸いステージ1のがんで手術で取り去ることができた。そうなると、仕事を辞めてヒマで仕方ない。そこでいろいろな人が日本一周の旅をレポートしているサイトを見つけた。「高速道路や有料道を使わず、下道だけで日本一周する。しかも車中泊で」鞆さんに新しい目標ができた。

まずはひとりで九州を巡る試運転の旅へ

 そこからいろいろ構想を練り始めた。R32GT-Rで全国に出掛けていたが、車中泊はしたことがなかったので、まずはひとりで1週間の予行練習に出発。「問題点を洗い出すため、試しに九州を一周してきました。カーテンの代わりに黒いビニール袋に吸盤を付けて用意したくらいで、あとは特別何も準備しなかったのです」お陰で、何が必要なのか課題を見つけた。

 車中泊するにはシートがツライ。フルフラットになるようにベニヤ板で台座を作った。ゆっくり食事ができるようにテーブルを自作。使用時はドアノブに引っかけて固定できるよう工夫している。また、車中泊時は当然エンジンオフ。暑さに耐えられるよう、窓枠に合わせて網戸を作った。こうして少しずつ課題をクリアしていったのだ。仕事引退から1年。ついに準備は整った。よし出掛けよう!

 2017年5月15日、鞆夫妻は広島を出発し、まずは九州を目指した。廿日市市から岩国を抜け……られなかった。家を出て1時間も経たず、エアコンから出てくる風が温くなったのだ。普段からメンテナンスをお願いしているショップに行き、オイル交換しながら相談。エアコン不調の原因次第では交換するしかないという結論だった。とりあえず行けるところまで行ってみよう。ふたりはめげずに再び九州に向かった。

 出発から1週間。エアコンなしで走り続けた。夏の匂いも近付く5月だ。少しでも涼を取るため、タオルをビショビショに濡らして腕にまく。福岡、佐賀、長崎……7日目に武雄温泉に着いたとき、ついにギブアップ。「もう帰りましょう。エアコン直しましょう。わたしが修理代出すからって言いました」と妻のひろ子さん。旅行は楽しいはずなのに、この1週間は苦行だった。帰りは高速道路。行きは7日間掛かったけれど、帰りはたった3時間。道中、すぐさまエアコン修理を依頼し、待つこと2週間で復活。今度こそ、万全の状態で出発の準備が整ったのである。

Rで快適に生活する知恵と工夫とは

 6月8日。2度目の出発を迎えた。出発の日は大雨。それでも今度は順調&快適。予定通りに車中泊を続けた。九州一周の予行練習があったから本番では快適な寝室が完成。「最初の2晩くらいはやはり寝付けませんでした。でも3日目には体も疲れてくるでしょう。強制的に寝られるようになるんですよ」そこからはもう慣れたもので、お手製のカーテンを閉めてグッスリと眠った。食事は毎日土地のものを仕入れたり地元の店に入って舌鼓を打った。最初に行った九州では指宿の砂風呂も経験。この日本一周の旅では毎日欠かさず温泉に入ったそうだ。旅と言えば温泉。各地の名湯を堪能した。

 九州に入った後、順調に各県を巡り、6月15日には四国へ。愛媛県の宇和ではキャンプ場で車中泊ではなくテント泊。久々に手足を伸ばして熟睡。そこから高知~徳島と走り岡山へ。友人と再会し夕食を共にしていると、その友人がエコノミークラス症候群を防止する靴下をプレゼントしてくれた。「そういった体のことは何も考えていなかったんです。職業柄心配してくださっていたみたいで、本当に感謝です。そこから先の旅程では、毎晩使わせてもらっていました」

 鞆さんは今回の旅で仲間や友人たちのありがたさを実感したそうだ。旅の間は毎日、その日あったことをブログで報告しており、激励や応援のメッセージが入る。さらに、その仲間たちに助けられたこともあった。岡山~兵庫~大阪~奈良~和歌山と走ったところで、そろそろオイル交換の時期。当然ディーラーでできるだろうと軽く考えていたら、R32用は取り寄せになると告げられる。そこでどこかでオイル交換できないか、とブログで募ったところ、仲間がいろいろと調べてくれたのだ。結果、三重県に入ったところでチューニングショップで交換が叶った。「最初は外に並ぶチューニングカーを見て、わたしのR32みたいなのが来ていいのかと心配になりました。でもスタッフの方がとても親切にしてくれて、次のオイル交換は東北で予定していると話すと、ショップを紹介してくれました」と鞆さん。

大好きな温泉を堪能し若者たちと交流

 無事にオイル交換も済ませて再び北上を目指す。愛知~岐阜~静岡~山梨~長野。群馬に入って草津温泉。温泉好きの夫婦にすればここはゆっくり過ごしたい。2日間かけてじっくり体を癒やす。スケジュールが厳密に決まった旅ではないので、こうした予定変更もあり。順調に北に向かっていた鞆さん。東北地方に入ったところで被災地の現状に心を打たれたという。

「今回の旅で最も印象に残っているひとつが被災地の現状でした。わたしが日本一周したのは2017年です。東日本大震災から6年が経っていました。それでも、まだまだ復興作業は継続していましたし、それまで映像でしか知らなかった現状を目の当たりにして心を動かされました。少しでも協力できれば、とブログでその状況を伝えています。やはり実際に行くのは大切なことです」

 岩手では素敵な出会いがあった。夜、車内でブログを書いていると、外から「すみません」という声。窓を開けてみると、若い男の子が3人立っていたそうだ。その数日前にオイル交換に寄ったショップ「スクリーン」のブログで鞆さんのR32を見たそうで、実車を発見し思わず声を掛けてきたのだそうだ。こうした若者たちとの交流は、旅を通して続いていく。北海道では自転車で北海道を旅する学生と出会い、その後の旅では東北大学自動車部のラリー好きの若者たちとクルマ談義。

ふたりで手を繋ぎ見た満天の星空

 出発から2カ月、8月に入るとついに北海道に上陸。以前の二人の約束を果たすため、じっくり1カ月かけて北の大地を堪能したそうだ。この旅のお陰で夫婦の関係にも変化があったという。「狭い空間で長い時間を過ごすわけですから、それまでよりもっと近い存在になったように思います。この旅に出るまで手なんて繋いだことはなかったのですが、電灯ひとつない真っ暗な中、トイレに行くこともありますからね。自然と手を繋ぐようになりました」降るような満天の星を手を繋ぎながら眺めた夜も、鞆夫妻の大切な思い出になっている。

 9月に入ると北海道を後にして本州へ。日本海側にルートを取った。新潟ではタラバガニ、輪島の朝市ではサザエを満喫した。毎日続く日本一周のブログを見ていると、鞆夫妻はとにかくアクティブだ。グルメ、温泉、名勝巡り。そして人との交流も含めて心から旅を堪能していた。

 そんな二人の旅は9月30日、出雲大社に参拝した後に19時帰宅で終了した。じつに124日間という長い道程だった。地元のGT-R仲間たちはブログを通してこの旅を見守り続けていたから、きっと胸を撫で下ろしたに違いない。「鞆さんは仲間内でも最年長。病気のこともあったので心配することもありましたが、結局手術してサイボーグになって帰って来たんだ、という結論になりました」と鞆さんの友人が教えてくれた。

「日本一周は私の旅好き人生の集大成のつもりでした。でも、正直に言えばまだまだこれから。じつはいつ2周目に出発するか、密かに考えているんですよ」コロナ禍のため、2周目はまだ実現していないが、落ち着いたら再び! 鞆さん夫妻の旅はまだまだ続くのである。

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