1990年代に隆盛を誇ったグループAレースはなぜ聞かなくなったのか?
1990年代初頭から2000年代前半まで日産スカイラインGT-R(BNR32)がサーキットで、スバル・インプレッサや三菱ランサー・エボリューションがラリーで活躍したグループAというカテゴリー。オーナーやファンがあれだけ熱狂したカテゴリーなのに、最近はレース雑誌を含めた自動車雑誌でまったく目にしなくなったのはなぜだろうか?
その理由は簡単。現在、純粋なグループA規定のレースは存在しないからだ。今回はレースファンならみんな大好き「グループA」を軸に市販車をベースとしたツーリングカーと呼ばれるレースカテゴリーについて解説していくことにしよう。
レースに勝つために生まれた市販車ベースのスーパーマシン
国際自動車連盟(FIA)のモータースポーツ部門である、世界自動車スポーツ連盟(FISA)が1981年にそれまでのグループ1~8に変わり、新たに定めたレース車両既定のひとつ。量産車両(公認生産車両)をベースとしたカテゴリー1のツーリングカーに区分されるのがグループAだ。
連続する12カ月間の生産台数が5000台以上(1993年以降は2500台以上に緩和)で4人乗り以上の量産車がレースへの参加資格(公認=ホモロゲーション)を得られる。エンジン排気量によって区分けされ、最低重量/タイヤサイズが定められる。また、ターボ車は排気量に1.4倍(1988年からは1.7倍)が換算されたクラスとなる。
外観は空力パーツを含めて市販車の形状を保つ(あくまでも保つなので、細部は加工されている)のがルール。エンジンは排気量の拡大、過給機の変更、補器類の形状・数の変更は認められていないが、原型がとどまっていれば加工や研磨は可能で、内部構成部品もピストン交換は許されていた。加えて過給圧も制限がなく、足まわりやブレーキも変更できる範囲は幅広く、大幅なパフォーマンスアップが可能だった。
それに加えてホモロゲーション取得のための生産台数に加えて、連続する12カ月間にさらに500台生産すれば、レースに合わせた強化部品を組み込んだ量産車はスポーツエボリューションとして追加公認が受けられ、さらなる戦闘力のアップが図れた。
サーキットで無敵を誇ったBNR32はなぜWRCで活躍できなかったのか?
BNR32ことスカイラインGT-RがグループAレースで無敵を誇ったのは、この規定を最大限に活用したパッケージの車両を開発&市販し、追加でエボリューションモデルであるNISMOを投入するなど、可能な限りホモロゲにミートさせたことが一番大きな要因である。
ここでひとつ疑問が残る。グループAレースで29戦29勝したR32GT-Rが同じグループA規定で戦うWRC(世界ラリー選手権)ではまったく活躍しなかったこと。GT-Rが2WDであれば理解できるが、当時としては最新の4WDシステムを持っていたのに、だ。
その理由はWRCにはR32GT-Rが活躍した全日本ツーリングカー選手権(JTC)にはない、リストリクター(空気吸入制限装置)の装着が義務付けられていたためだ。これはWRCで各社が2Lターボが多かったことにも繋がるのだが、リストリクター径と最低重量規定を加味した場合、2.6Lターボよりも2Lターボのほうが適していたから。
モータースポーツの世界では、もっとも有利な条件で走らせるのが勝つための基本。同じグループA規定でもJTCでGT-Rが、WRCで2Lターボ勢が活躍したのはカテゴリーにおけるレギュレーションの違いによるものだ。
多くのチームが参戦できるようにレースの規則はたびたび見直される
ではなぜ、絶大な人気を誇ったグループA既定のレースから日本車が撤退したり、カテゴリー自体が終了したのであろうか。それは車体の外板を市販車から変更できないマシンで勝つためにはR32GT-Rのようなカテゴリーに合致させた高い戦闘力を備えたクルマを開発し続ける必要があるからだ。
ただ、国内のグループAでR32GT-Rが活躍していた時代にはバブル崩壊を迎え、他メーカーにマシン開発費を捻出する予算はなかった。さらに海外では日本よりも早くグループAによるツーリングカーレースは衰退が始まっており、GT-Rのライバルが登場することなくワンメイクレース化してしまう。これはWRCも同じで、ベースとなる4WDマシンを持たない欧州メーカーは多くが参戦せず、1990年代中盤以降はほぼ日本車以外勝つことができなくなった。
こうなると見ている観客は面白いかもしれないが、レースの原理としてより多くのチームが参戦しやすいように規則の仕切り直しが起こる。ランエボ、インプらのWRC撤退理由はそれが直接的な原因ではないが、規定変更が大きな負担になったことは間違いない。
現在、純粋なグループAレースは世界中で皆無だが、WRCのWRカ―(ワールドラリーカー)やグループRally、日本のスーパー耐久に参戦するTCR(ツーリングカーシリーズ、FFの4ドア/5ドア&2L以下ターボ車がベース車両)などその規定をベースにしているレースは数多く、ほとんどが時代に応じて大幅な規制緩和(改造範囲を広げる)を盛り込むグループAプラスのような形で、参戦のための門戸を広げている。
グループNはもっとも市販車に近いカテゴリーで改造範囲もかなり狭い
グループAの下のカテゴリーでプロダクションカー(無改造車)と呼ばれ、もっとも市販車に近いのがグループN。ホモロゲーション取得(公認は車両の生産中止から7年まで)規定はグループAと同じだが、改造範囲はシート&内装の取り外し、サスペンション、ブレーキの交換、ECUの書き換えなど変更できるパーツは最低限。加えてロールケージといった安全対策装備以外、改造は認められていない。
FIA(おもにラリー)では1400㏄以下をN1、1401~1600㏄はN2、1601~2000㏄がN3、2000㏄以上がN4に分類される(日本自動車連盟[JAF]が決めたN1、N2とは異なる)。ターボ車の区分は排気量に1.7倍が換算されるのもグループAと同じだ。
入門カテゴリーとして一定の人気があったが、グループA同様に2000年前後にラリーでは一部車種の寡占状態となり、グループRallyという改造範囲の広い新たなカテゴリーが新設。現在、グループNは日本国内ラリーでは独自の規定(JN1~JN6)を加えることで主流だが、WRCなどの欧州ではグループRallyがメインとなり、少数派になっている。
ちなみに日本のN1レースはFIAのグループN規定に沿ってJAFが制定したカテゴリー。国内であれば仮にFIAのグループNの公認を受けていなくても、JAFグループNの公認を受けていれば、レースやラリーに参戦することが可能だ。また、日本のスーパー耐久レースはN1レースの発展形で、上述したグループAと同じく、N1レースの規定をベースに改造範囲を広げた独自のレギュレーションで運営されている。
市販車の域を超えたラリースペシャルなマシン製作を可能としたグループB
グループAのひとつ上のカテゴリーになるのがグループB。連続する12カ月間で200台生産すればホモロゲーションを取得できるため、大幅な改造を施した戦闘力の高いマシンの投入が可能。さらにグループA同様のエボリューションモデルに至ってはわずか20台の生産で公認を受けられたことから、数多くのメーカーやチームが参戦した。
マシンはプジョー205ターボ16やランチア・デルタS4、フォードRS200、国産車では日産240RS(S110型シルビアベース)、トヨタ・セリカGT-TSなどがその代表格だ。サーキットでのレースも計画されたが実現せず、1982年のプレシーズンを含めて1986年までの5年間のみWRCでマシンが躍動した。車両はエンジン、パワートレインからエアロダイナミクスまで含めて完全な競技専用設計、マシンメイクは市販車というよりはグループCのようなプロトタイプ・スポーツカーに近かった。
ただ、1tを切るボディに500psオーバーのパワーはミドシップ4WDでも受け止めきれず、1986年のツールド・コルス・ラリーでのモータースポーツ史に残る大事故が発生。これによってWRCにおけるグループBカテゴリーは廃止され、翌年からグループA規定に移行した。その後、活躍の場を失ったグループBマシンたちはパリダカ、ヒルクライムなどの競技でその実力を見せつけることとなった。
幻に終わったグループSや廃止されたグループSTなどカテゴリーは数多い
ちなみに、安全面、開発コストの高騰を含めてグループBの行く末を危惧したFISAはWRCに新たなカテゴリーの準備を始めていた。それがグループSだ。パワーを500psから300psに抑える代わりに、ホモロゲーション取得のための生産台数をわずか10台とすることで、さらなるメーカー、チームの参戦を促し、WRCを盛り上げようとしていた。だが、上述した大事故によりグループS構想はお蔵入りとなってしまった。
今回はFIAのツーリングカーカテゴリーの主要なものを紹介した。だがこのほかにも、国内のグループA(JTC)レースの後を受け継ぎ、1994年から始まったJTCC(全日本ツーリングカー選手権・排気量2L以下の自然吸気エンジンを搭載する4ドアセダンレース)はグループST、凶暴なグループBよりも改造範囲が広く、1980年代に一世を風靡したR30スカイライン、S110/S12シルビア、910型ブルーバードをベースとしたシルエットフォーミュラと呼ばれたマシンたちのグループSPなど、廃止されたものを含めればまだまだある。では、国内でもっとも人気のあるスーパーGTはどのようなカテゴリーに属するのだろうか? それはまた、別の機会に紹介することしよう!