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一世を風靡した「女子大生ホイホイ」! 昭和最強のデートカー「ソアラ」は何が凄かったのか

カタログで振り返る最新鋭スペシャリティカー

 バブル前夜、まるで時代を象徴するかのような高級クーペ、ソアラは誕生した。女子が助手席に乗りたがり、男子はその近未来的な最新機能に憧れた。クラウンの高級感とは違い「2ドアでなんかカッコいい」プレミアムカーであるソアラについて振り返ってみよう。

昔懐かしいキャッチコピーは「未体験ゾーンへ」

 初代ソアラの誕生は、今からちょうど40年前の1981年。ダイアナ・ロス&ライオネル・リッチーの「エンドレス・ラブ」やジョン・レノンの「(ジャスト・ライク)スターティング・オーバー」、ホール&オーツの「キス・オン・マイ・リスト」などがビルボード・チャートを賑わせていた年。どおりで歳を取るわけだ……などと筆者個人の感想はさておき、手元の「昭和56年2月」と記載のある、まさしく最初のソアラの本カタログを暫くぶりに開いてみると、懐かしいフレーズが目に飛び込んできた。

 未体験ゾーンへ。

 確かTV-CMでも使われていたはずだが(と思い、某動画閲覧サイトで見たらCMの最後に確かに使われていた。ただしCM自体は「ええっ、こんな感じだったの!?」と、いささかの当惑は拭えない)、未体験ゾーンのフレーズは、当時の自動車雑誌などでも、見出しなどでもしばしば使われていたと記憶する。

海外モデルと勝負できるプレミアムモデル

 ともかくそれまでの国産車にはなかった、当時のメルセデス・ベンツSLCやBMW6シリーズなどプレミアムブランドと肩を並べるクルマとして開発されたのがソアラだった。トヨタにはクラウン・ハードトップがあったが、どちらかといえば、俗に言われる「1番いいクルマを持ってこい」的なベテランのオーナーが似合うクルマだった。対してソアラは「今までの技術を超えた最高級スペシャリティカー(当時の広報資料より)」が開発テーマ。

 より新しく、若々しく、グローバルも視野に入れたスーパー・グラン・ツーリスモを狙った点が特徴。ちなみに初代ソアラのユーザー特性(昭和60年時点のトヨタ調べ)は、運転者年齢は34歳までで68%、男性比率93%、職業はさまざま、用途は51%が主として通勤・通学、ボディ色は白系が77.5%。ユーザーは大都市圏で約8割を占め、最終的にヤングアダルト層が増加した……とのこと。AT車比率も当時(昭和60年)のトヨタ全車の50%に対し、それを大きく上回る82.1%だったという。

ネーミングにも強い意志が現れていた

「最上級グライダー」からとった「SOARER」も、それまでのほとんどのトヨタ車とは違い、“C”で始まらない車名だったのも特徴。改めて調べてみると、当時あったトヨタ車でCで始まらない車名はパブリカ(1961年)、スターレット(1973年)、ターセル(1978年)などごく少数だった。

 とはいえ車名だけでなく、新時代の高級パーソナルカーとしての存在感そのものがおおいに注目を集めた。スタイリングは全体を軽くウェッジシェイプとした直線基調。特徴的なのはコンパクトなキャビンをBピラーで前後6:4に分けたデザインで、これは2代目にも踏襲された。平面絞りも今はもっと大きいが当時としてはかなりのもので、これはタイヤをより張り出させて見えるようにしたため。ボディサイズは全幅が1695mm(2Lは1690mm)と5ナンバーサイズだったことも時代を物語る。なお2代目も全幅は同様だったが、3Lモデルはサイドモールの厚みを変えて全幅1725mmとしていた。

最新装備や機能に心が奪われる

 装備やメカニズムも話題が満載だった。何といっても注目を集めたのは日本初の「エレクトロニック・ディスプレイ・メーター」。スピードメーターはブルーグリーンの蛍光表示管のデジタル。タコメーターはLEDをグラフ状に並べたもので、スピードメーターのデジタル表示は1km/hごと、書き換え時間は0.28秒ごと。

 ほかにもクルーズコンピューター(航続距離や到達予想時刻、燃費などをデジタル表示)が用意されたり、録音機能付きのカセットプレーヤーも備わり、これはチューナーのほかマイクからも録音可能で(誰が何に使っていたのだろう?)、ドルビーノイズリダクションシステムも付いた。合成音声でランプの消し忘れなど5項目を知らせるエレクトロニック・スピークモニターも。シートにはエアバッグ式のランバーサポートも設定。空気の充填はカメラのブロワーブラシのようにシュコシュコと手動で行なう(抜くのはボタン)方式だった。

エンジンも魅力的なパワーと性能をもつ

 メカニズムではエンジンが見逃せない。クラウンに搭載されていた直6、2759ccの5M-EU型をベースにDOHC化することで高回転にも対応。吸気/排気それぞれのカムシャフトハウジングが独立した設計で、シリンダーヘッドカバーはジャガーEタイプのような(!?)黒色の縮み塗装。スペックは170ps/24.0kg-m。ほかに2Lモデルには初代クレスタで登場した当時の新世代直6エンジンだった1G-EU型(125ps/17.5kg-m)も用意された。

 エンジンではさらに、日本の乗用車初のインタークーラー付きターボだった2L(M-TEU型)、2Lツインカム(1G-GEU型)を搭載。また終盤近くには2.8Lが3Lの6M-GEU型(190ps/26.5kg-m)に置き換えられている。

 サスペンションについては、フロント=マクファーソンストラット/リヤ=セミトレーリングアームの4輪独立式。世界初を謳ったTEMS(電子制御サスペンション)が2.8Lモデルに投入されたのは意外にも最初からではなく、1983年のマイナーチェンジのタイミングからだった。

ハイソで素敵な憧れのクルマだった

 ……以上、あらまし過ぎるあらましではあるが、初代ソアラがいったいどんなクルマだったのか? を振り返ってみた。筆者は残念ながら実車を所有する経験には恵まれることなく縁はなかったが、当時、若者向けの雑誌などで「彼女たちが助手席に乗りたいクルマBest○○」といった記事を組めば、BMW3シリーズやアウディ80、ポルシェなどとともに、このソアラが誇らしげに名を連ねていたように思う。ハイソカー、デートカーなど、何とも甘々な言葉が飛び交っていたステキな時代だったが、初代ソアラは日本車の歴史にも名を残すステキなクルマだったことは間違いない。

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