期待を集めながら惜しくも市販されなかった国産スーパーカー
今でこそミッドシップスーパーカーは世界中のあらゆるメーカーから販売されているが、日本メーカーにとってはホンダNSXなどごく少数で、ほぼ皆無と言っていい。だが、過去にはショーモデルとしていくつか提案されていたのはご存知だろうか? 2021年は東京モーターショー開催中止が決定したが、過去の同ショーで出展され人気を集めつつも、市販には至らなかった国産ミッドシップスーパーカーをモータージャーナリスト片岡英明が振り返る。
ジオット・キャスピタ:泡と消えた「公道を走るF1マシン」
バブル期の80年代後半、女性下着メーカーの「ワコール」はジオットを設立し、童夢にスーパーカーの開発を依頼する。エンジンはスバルがイタリアのモトーリモデルニと共同開発したF1用の3.5L水平対向12気筒DOHC5バルブ(公称450ps)だ。
童夢・零:国産初のスーパーカー
林ミノル率いるレーシング・コンストラクターの童夢は、1978年のジュネーブショーに流麗なフォルムの『童夢・零』を送り出した。
いすゞ・ベレットMX1600シリーズ
いすゞ自動車はプレミアム・スポーツカーの開発に意欲を燃やし、1969年の第16回東京モーターショーにギア社にデザインを依頼したミッドシップのスポーツカー、ベレットMX1600を参考出品。
トヨタEX7:トヨタ7の「心臓」を搭載
トヨタのレーシングカー、トヨタ7の最終進化モデルとして開発されたミッドシップの実験スポーツカーだ。レーシングカーの手法でシャーシを設計し、エンジンやサスペンション、ブレーキなどもトヨタ7から流用している。5LのV8DOHCエンジンはターボを外し、450psにデチューンして搭載された。