トヨタがなぜ水素燃料車をレースに投じてきたのか
今年で4回目を数える「スーパー耐久富士24時間レース」(5月22〜23日)に、ガズーレーシング(以下GR)が、水素燃料によるカローラスポーツを参戦させるというニュースを耳にしたのは、開催まであと1カ月と迫った4月下旬のことだった。
正直、この一報は驚きのひと言だった。水素燃料車による参戦の意味は、24時間レースの勝敗を睨んだものではなく、実験参加、試験参加であることはすぐに理解できた。しかし、なぜトヨタがこの時期に水素燃料車なのか、という点が大きな疑問だったからだ。
ちなみに老婆心ながらひと言お断りさせていただくと、水素燃料車とはFCV(燃料電池車)のことではなく、水素を燃料とした内燃機関で動く自動車のことである。FCVは水素と酸素の化学反応で電気を起こし、それを動力源とするEVのこと。燃焼ガスを排出しないことから、近未来に向けてのゼロエミッション、二酸化炭素無排出の自動車として、トヨタも積極的に開発を進めていることは広く知られている。しかし水素を燃料とする内燃機関の研究、開発を前向きに行っていたことは、寝耳に水、ただし個人的に表現するなら、うれしい誤算だった。
脱炭素に向かうひとつの技術集大成
化石(石油)燃料を燃焼して走行エネルギーに変える内燃機関は、燃料の組成から、一酸化炭素、炭化水素の排出が避けられず、これらが大気汚染の大きな要因となっていた。
日本では昭和41年(1961年)の段階で、4モード法による一酸化炭素の排出規制が始まり、昭和48年(1973年)に米マスキー法に端を発する排出ガス規制が本格化。昭和53年(1978年)には一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物それぞれの排出量を、昭和48年規制値の10分の1とする「昭和53年排出ガス規制」が実施される流れとなっていた。なお「昭和53年排出ガス規制」は、当時世界一厳しいと言われた排出ガス規制値に設定され、自動車業界から実現は到底不可能と考えられる数値だった。
実際には奇跡と言われた昭和53年排出ガス規制値の達成後も、時代を追って排出ガスの浄化は進められ、社会問題にならないレベルで抑え込まれるようになったが、それと入れ替わるようにして重大視されるようになったのが二酸化炭素の排出による地球温暖化の問題だった。
気温、海水温の上昇による気候変化、海面水位上昇などが地球の存続を危うくするという危惧感から、世界規模での二酸化炭素排出削減が大きな課題として浮上した。当然ながら、自動車も二酸化炭素排出に関わる一大因子で、石油燃料を燃焼することで発生する二酸化炭素を極力抑えよう、という動きが世界共通の認識となり、石油燃料に頼る内燃機関自体の使用を避ける方向へと傾いていった。つまり、電気エネルギーを動力とするEV化へのシフトである。
EVへの移行は自然な帰結と言える発想だったが、二酸化炭素の排出をゼロとする手法はEVだけに限った話ではない、という考え方も一方で存在した。水素を燃料とする内燃機関であれば、二酸化炭素の排出はあり得ないという技術思考である。
旧くはダイムラー・ベンツ、21世紀に入ってからはBMWやマツダ(知る限りロータリーエンジンのみでの取り組み)が、水素燃料自動車の研究・開発を手がける歴史事実があった。ただ、二酸化炭素排出ゼロを可能にする手法としてEVだけに注目が集まると、BMW、マツダの試みはいつしか自然消滅的に表舞台から姿を消す足取りをたどっていた。
可能性ある選択肢をすぼめてはならない
こうした自動車界の流れの中で、トヨタが水素燃料車のカローラ・スポーツを富士24時間レースで走らせる、と公表したのである。
極端な言い方をすれば、世界の自動車メーカーが諦めたと思われる水素燃料車を、今ここへきて業界世界最大手、基盤技術の研究項目数でいえば世界最高水準にあるトヨタが真正面から開発に取り組んでいる、と意思表示を行ったわけである。とすれば、トヨタは水素燃料車のどの部分に興味を持ったのか、言い換えればどの部分に可能性を見出しているのか、この点が大いに気になった。 水素燃料車は、水素(H)と酸素(O)を燃やしてエネルギーを得るため、排出成分はほとんどごく少量の水(H2O)だけとなる。二酸化炭素の排出問題に関してはきわめて有効な手法だが、同時に水素を燃料とすることの難しさ、問題点もついて回ってくる。こうしたあたりも含め、今回トヨタが水素燃料車をレースの現場に送り出してきた真意について、開発を担当するガズーレーシングカンパニーGRZ主査、水素エンジン先行車チーフエンジニアである坂本尚之氏に聞いてみた。
「ユーザーの選択肢を重視した結果です。社会的要求は二酸化炭素無排出ですから、達成手段は電気モーターを使うEV以外にもあってよいわけです。それならば、かねてより可能性が注目されていた水素燃料車に取り組んでみようと。サーキットレースを選んだのは、レースは開発のスピードが要求され、試したことが即結果として反映されるからです。また、極限的な領域を使いますから、実験、開発の場としては最高の環境となります」
ユーザーの選択肢という意味は、内燃機関とEVが持つドライバビリティの違いに着目したもので、平たい言い方だが、脈動感のある内燃機関の反応と直線的な反応のEVの違いを重視する価値判断である。たとえてみれば、蒸気機関車と電気機関車の違いである。人間が作り出し機械のうち、もっとも人間に近い動きを感じさせるものが蒸気機関車という言い方がある。同じ意味で、自動車誕生以来130余年をかけて馴染んできた内燃機関を、人間はそう簡単に捨てきれるものではない、ということだ。こうした意味では、近未来に見える自動車像に、内燃機関が残っていることはうれしい限りである。