セリカGT-FOURにバトンタッチ
スープラの次なる舞台はアイボリーコースト・ラリー。後輪駆動車が、そしてトヨタとTTEが得意としていた、もうひとつのアフリカン・ラウンド。当然、スープラは優勝候補の筆頭に挙げられていましたが、1週間前に香港~北京ラリーを戦い終えたばかりというハードスケジュールが気になるところでした。そしてそのことが思わぬ悲劇を生むことになりました。北京から空路、アイボリーコーストに向かったコンペティション・マネージャーのヘンリー・リドンが乗った飛行機が墜落し、リドンは帰らぬ人となったのです。
彼の喪に服すためにチームはイベントからの撤退を決断。優勝候補に挙げられていたスープラは戦うことなくドイツに引き上げることになりました。翌1988年にはセリカGT-FOURが実戦デビューを果たしていますが、サファリは引き続きスープラで戦うことになりました。 しかし、同年からチームに加わったケネス・エリクソンとカンクネン、そして引き続きエースを務めるワルデガルドが、それぞれ4位、5位、7位に留まり、スープラのWRCチャレンジは終了。香港~北京ラリーで優勝を飾ったものの、悲運のラリーカーの歴史を終えることになりました。