「空飛ぶレンガ」で名を馳せたボルボ
1960年代から賑わいを見せていたヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)では、1983年にデビューし、翌1984年のシーズン後半にトップコンテンダーへと成長したボルボ240Tが大活躍。1985年シーズンにはライバルを圧倒しました。地元アンデルストープで開催されたシリーズ第4戦で1-2フィニッシュを飾ると続くブルノ、ツェルトベク、ザルツブルグ、ニュルブルクリンクと5連勝。スパ24時間では2台のBMW 635CSiに先んじられ、続くシルバーストンのTTレースではやはり2台のローバー・ビテスに先行を許して、2戦連続で3位に甘んじたものの、ゾルダーとエストリルでも連勝。最終的に都合7勝を挙げてシリーズチャンピオンに輝いています。
グループAレースでBMWらと善戦
当時のETCは、1983年から本格的に運用が始まったグループAによるレースで、メーカーのワークスチームやワークスマシンを貸与されたサテライトチームがしのぎを削るレベルの高いシリーズとなっていました。そんなETCでは世界で最も美しいクーペと評された流麗なスタイルのBMW 635CSiや、ファストバックのシルエットが映える5ドアハッチバックのローバー・ビテスが敵対していたのです。 その現場で大柄でちょっと武骨な箱形ボディのボルボ240Tが勝ってゆくのが印象的で、Flying Brick(フライング・ブリック=空飛ぶレンガ)のニックネームが与えられることになりました。
日本国内でも同年、富士スピードウェイで開催された全日本ツーリングカー選手権(JTC)の最終戦、インターTECに2台が遠征してきたボルボ・ワークス(正確にはワークス格のエッゲンバーガー)の240T。公式予選で楽々ポールを奪うと、決勝でもスタートから後続をみるみる引き離していき、レースを席巻していました。その印象から国内でも「ボルボ=空飛ぶレンガ」のイメージが定着することになったのです。
240TはグループAのホモロゲーションを受けた2ドアセダンでしたが、1974年に登場したシリーズは当初、シリーズ名+エンジン気筒数+ドア数、と3つの数字を並べて車名とするネーミング則を持っていました。それは基本設計を受け継いだのと同様に、先代モデルとなった140シリーズから踏襲されたものでした。
そして、それまでは244と呼ばれていた、2“シリーズ”の中でも基幹モデルだった2ドアセダンは、ドア数を表していた3番目の数字が0で統一され、2ドア/4ドアセダンも5ドアのステーションワゴンも、すべてが240と呼ばれるようになった後、1981年にターボを装着した240ターボが登場。さらに1984年以降はインタークーラーが追加されることになりました。そんな240ターボをベースにしたグループAの競技車両が240T。レーススペシャリストのエッゲンバーガー・チームがオーガナイズしたチームから、空飛ぶレンガが登場したのです。
「空飛ぶレンガ」から現代に至るベースモデルの変遷
ここでもう一度、ベースモデルの変遷に話を戻すことにしましょう。1974年の秋に、2ドアセダンと4ドアセダン、そしてエステートと呼ばれるステーションワゴンがそろって登場した240シリーズ(先に触れたようにこの時は、それぞれ242、244、そして245と呼ばれていました)。先代140シリーズのノーズ部分を手直しした発展モデルで、キャビンから後方は140シリーズのそれを継続して使用していました。
つまり“エッジの立った箱型ボディ”は140シリーズから踏襲されていた、ということです。その後240Tは、740、940のFR駆動の方向や、1991年のモデルチェンジで“面取り”されたボルボ初のFF駆動となる850に移行し、S70/V70を経て2000年には流麗なS60へと進化しています。
“今風”で流麗なシルエットを持ったボルボは、エッジの立った箱型のころからのボルボ・ファンにも受け入れられています。一方で古くからのファンの中には、空飛ぶレンガを懐かしむ声も少なくありません。
「アマゾン」の名でお馴染みの120シリーズ
それでは240シリーズから時代を遡ってみていきましょう。240の先代となる140は、先にも触れたように紛れもない箱型でした。しかしその先代、240にとっては2世代前となる120シリーズは、少し背が高いけれどもごく普通の3ボックスセダンでした。
アマゾンというネーミングでデビューしたのですが、これがドイツのクライドラー(2輪メーカー)の登録商標であったことから、スウェーデン国内でのみボルボ・アマゾンとして発売され、輸出先ではP120系として2ドア・クーペは121~123、4ドア・セダンは131~133、ステーションワゴンは221~223など3桁の数字で呼ばれることになりました。
流麗なクーペボディが印象的だったP1800シリーズ
そしてP120系の登場から4年後には、そのシャーシを使って上屋に流麗なクーペボディを構築した、P1800シリーズと呼ばれる2ドア・クーペと3ドア・スポーツワゴンがラインアップされていました。
ともにお洒落なパーソナルカーとして人気を呼ぶことになりましたが、特にリヤにガラスハッチを持った3ドア・スポーツワゴン、車種名で言うならボルボ1800ESは、僅か2年間の生産で1972年モデルと1973年モデルの2タイプしか生産されませんでした。しかしスポーティな味付けはそのままに、ルーフを伸ばしでラゲッジスペースを拡大したことで、シューティングブレークとしてのスタイルを確立することになりました。
それにしてもアマゾンにもステーションワゴン(P221~223)が存在していましたから、流麗なボディを持ったシューティングブレークとは兄弟関係にあり、しかもその後継に空飛ぶレンガが誕生することになった訳で“歴史の気紛れ”には興味津々となってきます。