「V12+ミッドシップ」というスーパーカーの王道を最初に作ったモデル
1970年代にスーパーカー少年だった人たちが、今では50代のオジサンになってしまったように……。あのスーパーカーブームを牽引した主役たちも、そろそろデビュー50周年を迎える。なかでも、「The スーパーカー」と呼ぶにふさわしい、ランボルギーニ・ミウラSVも今年でなんと50周年!
ミウラシリーズの正式発表は、1966年のジュネーブショー。それまでミッドシップレイアウトはレーシングカーの専売特許で、ロードカーは例外的に4気筒のモデルが1〜2台あっただけだった。
それだけにV型12気筒の大排気量エンジンをミッドシップに積むというのは一大革命で、このミウラが登場するまで、フェラーリの創立者だったエンツォもロードカーをミッドシップ化することには消極的だったと言われている。そういう意味で「V型12気筒+ミッドシップ」というスーパーカーの王道を最初に作ったのはミウラになる。
ダラーラやガンディーニが関わったミウラ
ミウラの設計を担当したのは、のちに日本のスーパーフォーミュラや、F3、GP2(現FIA F2)、GP3(現FIA F3)のシャーシを一手に引き受けるレーシングコンストラクター、ダラーラの創業者、ジャンパオロ・ダラーラ。エンジンは、フェラーリ250GTOに関わったジオット・ビッザリーニ設計のエンジンを故パオロ・スタンツァーニが改良。
そしてデザインは、ベルトーネのチーフデザイナーに就任したばかりの、新進気鋭のマルチェロ・ガンディーニが担当。当時の鬼才・英傑が集結して作り上げた一台が、このランボルギーニ・ミウラだった。
改良を加えられながら生産が行われた
ただ、初期のミウラは見切り発車の未完成品もいいところで、シャーシ剛性の不足、振動、騒音、遮熱対策の不足。アクセルオフでオーバーステア、オーバーヒート、ミッショントラブルといった問題が山積だった。それでも正式発表以来、ランボルギーニに次々とオーダーが入ってきたために、製品化しながら一台一台改良を加えていくという荒技で対処。
5年間でおよそ755台生産されたミウラのうち、約600台を作り終えた1971年に登場したのが、ミウラの完成形ともいえるP400SVというわけだ。
9Jホイールに60タイヤを採用
P400SVは、リヤロアアームをそれまでの逆Aアーム+ラジアスアームという組み合わせから、2ピボットのL字型アームに変更。前後サスの取り付け部剛性も強化され、リヤには9Jホイール+255/60の幅の広いピレリタイヤを装着(それまでは70タイヤだった)。あわせてリヤフェンダーもワイドになった! これでスタビリティの問題は大幅に解消した。
同時にエンジンもバルブやカム、圧縮比(10.5→10.7)が見直され、385ps/40.7kgmまでチューニング。1967年のP400に対し、35ps/3kg-mもパワーアップしていて、まさに「SV」(Sprint Veloce)=「より速いクルマにチューンされた」ミウラとなった。
もうひとつのP400SVの大きな進歩は、エンジンとトランスミッションの潤滑系を分離させたこと。逆に言えばP400SV以前のミウラは、エンジンのクランクケースとトランスアクスルケースが一体で、オイルも共通だったのでオーバーヒートしやすかった……。P400SVはこれを分離させ、LSDも採用された。
そして機能面ではないが、前後ライトのデザインにも手が加えられ、ヘッドライト周りの「まつげ」がなくなった。
生産台数は151台のみ!
これはスーパーカー少年には大事な要素。ミウラのプラモデルは、青島、グンゼ、オオタキ、ナカムラなどから出ていたが、この違いまでこだわっていた人はどれぐらいいただろう? ミウラP400SVは、1971~1973年までに151台が作られて生産終了。
いずれにせよミウラは、「V型12気筒エンジン+ミッドシップ」というイタリアンスーパーカーの文法を作り上げたエポックメイキングな存在。
ただそれ以上に、無類の美しさとかっこよさを持った特別なクルマで、50年経った今でもミニカーの一台や二台は手元に置いておきたい、永遠のスーパーカーだ。