感動の「ル・マン制覇」から30年
早いものでマツダがル・マン24時間レースで優勝してから、今日でちょうど30年。前年の3月でサラリーマンを辞めてフリーランスとなり、餞別のようにいただいた仕事で生まれて初めてのル・マン24時間を取材。この年は日産が本気でポールを狙ってそれを実現し、現地で感動したのは良かったけれど、翌1991年は仕事もなく、国内で観戦していたから、残念ながらマツダの優勝に現地で感激に浸ることは叶わなかった。そんな年寄りの繰り言はともかく、これは国産車……シャーシに関して厳密には意見が分かれるところだが、エンジンは紛れもなくマツダで仕上げた国産だ……初の優勝であるとともに、ロータリー・エンジン(RE)としても初の快挙だった。
マツダのレース活動を振り返る
1967年に登場したコスモスポーツが、翌1968年にドイツのニュルブルクリンクで開催されたマラソン・ド・ラ・ルート84時間耐久レースでデビュー。 いきなり4位入賞を果たしたのを筆頭に、ファミリア・ロータリークーペで国内のツーリングカーレースにREを持ち込むと、サバンナ&カペラの連合軍を経て“真打”たるサバンナRX-3(国内の市販名はサバンナGT)でスカイラインGT-Rとの死闘を繰り広げ、ついにこれに打ち勝った……。そんなドラマをリアルタイムで観て来ていたから、REと言えば=レースと刷り込まれてしまったようだ。 その最高の檜舞台が1991年のル・マン24時間レースだった。グループC規定が変更される端境期で、結果的にマツダは車重が有利だったとか、上位陣が潰れた結果だったとか、ネガティブな評価も聞こえるが、有利な車重を引き出したのはマツダの総合力であり、後方からプッシュし続けた結果として上位陣が潰れたのであり、万端に準備を整えて、決勝では攻めて攻めて、攻め抜いた結果の誇るべき優勝だった、と今でも思っている。
しかし、ル・マン24時間で総合優勝を飾って以降、国内外を問わずトップカテゴリーでのREが活躍する舞台は限られてしまう。SUPER GTの前身である全日本GT選手権(JGTC)でRE雨宮のRX-7が活躍し、2006年にはシリーズチャンピオンにも輝いているのだが、2010年を限りに活動を休止。また、改造範囲が極端に制限されたツーリングカーによるN1耐久シリーズでも、プライベートチームが活躍していたが、それも2012年にRX-8が生産を終了して以降、REを搭載した市販モデルがないことから、現在では“休眠状態”が続いている。