一大ブームを巻き起こしたスーパーカー消しゴム
スーパーカーブームの全盛期は、1976~1977年までの2年間であった。この2年間に子どもたちの周りに存在する、ありとあらゆるモノが「スーパーカー関連グッズ」に変身していくというムーブメントが起きた。
なかでも注目を浴びたのが、玩具メーカーの「コスモス」が、駄菓子屋の店頭などに据えたカプセルトイの手動式自動販売機において、一回:20円でスーパーカーを題材とした「カー消し」を販売。1975年から「少年ジャンプ」誌上で連載が開始された池沢早人師氏による漫画「サーキットの狼」が爆発的人気を博していた。
その影響もあり、スーパーカーに魅せられた男子小学生の間で瞬く間に超人気商品となった。一台=20円という安価だったこと、文房具として小学校に持って行けることも手伝って、一大ブームを巻き起こした。
マルカだけでもカー消しを2億個ほど売った!
また、一大ブーム状態であることを追い風として、玩具メーカーの「マルカ」のように、5~6個のカー消しをセットにし、ブラインド・パッケージ内に発射台まで同梱した魅力的な商品をリリースするメーカーも出現。
マルカだけでもカー消しを2億個ほど売ったと言われており、ブーム当時、同社の社員の給料袋は“ぶ厚すぎて、自立した”という都市伝説が残っている。
一回20円の手動式自動販売機から出てきたカプセルやブラインド・パッケージを開けてみるまで中に何が入っているのかわからなかったため、実車の世界における不人気車が再現されたカー消し、いわゆる「ハズレ・アイテム」をゲットした少年たちは酷く落ち込んだという悲しいエピソードも残っている。
ちなみに、昭和32年(1957年)頃から、塩化ビニル樹脂を主材料とする「プラスチック字消し」が文房具界における主流となった。字を消すための一般的な「プラスチック字消し」は、塩化ビニル樹脂に柔軟性を出すためのフタル酸系可塑剤を加えているが、カー消しは成形ディテールを優先させるために可塑剤を減量し、強度を増していた。
そのため、字を消すという字消し本来の性能が犠牲になっており、そういった意味では、カー消し=ゴム製ミニカーと言えた。そのような状況を逆手にとって、実際に字を消せるカー消しも後年リリースされた。こちらは駄菓子屋ではなく、主に文房具屋で販売された点がポイントだ。
スーパーカー消しゴムには3種類存在した
一口にスーパーカー消しゴムといっても3種類存在していた。ここではそれらについて紹介をしていこう。
粗彫りシリーズ
最初期モノは「粗彫りシリーズ」と呼ばれている。その主な特徴は、漫画「サーキットの狼」に登場するクルマたちをしっかり網羅していたものの、残念ながら実車にまったく似ていなかった点に集約される。
おそらく、まともな原型を作ることなく、関係スタッフの勢いだけで製作・販売したのだと思われる。似ていないうえに裏面に刻まれた車名が間違っているモノや何を題材にしたのかわからないモノまで存在し、旧き佳き時代の“ユルさ”を今に伝える逸材だといえる。
精緻モノ
粗彫りシリーズ(最初期モノ)の後にリリースされ、カー消しが大流行するきっかけとなったのが「スーパーリアリズムシリーズ」だ。これは、精緻モノと呼ばれるもの。
ディテールを追求する気がゼロだった最初期モノでの反省を踏まえた(?)のかは不明だが、とにかくスーパーカーならではといえる美しいプロポーションが驚くほど忠実に再現されていた。ポルシェおよびBMWを例外として、イタリア車をメインの商材として展開された。
ペったんこモノ
スーパーリアリズムシリーズ(精緻モノ)が子どもたちの間で一般化した後、商魂たくましい大人たちによって生み出されたスポーティなカー消しが「フラットボディシリーズ」だ。これは、ペったんこモノと呼んでいる。
前身となったスーパーリアリズムシリーズにおいてスーパーカーブームを代表する車種がすでに出揃っていたので、当シリーズではマニアックなクルマも題材となった。
それまでのカー消しよりも材質が若干軟らかかったため、机上でのグリップ力が強く、当シリーズの登場によって速く走らせるための改造が本格化したといえる。
そして、フラットボディシリーズの発売後、スーパーカーのプロトタイプショーモデルのような超マニアックな車種を再現した透明なカー消しも市民権を得て、通常バージョンと同じように著しく発展した。
その後、国産車、デコトラ、はたらくクルマ、そして、戦車などを題材としたカー消しも大量に登場し、その全体像を誰も把握できない状況となった。
なお、透明なカー消しが一般化したタイミングで、色を塗る、という世界において、ひとつのセオリーが生まれた。それは何かというと、カー消しのウィンドウ部分を“そのままにする”ことでガラスを表現できるようになったので、何も塗らずに残すことがヨシとされたのだ。
また、そういった流れと並行して、成形色のままとなっているカー消しを塗る際にはウィンドウ部分をシルバーにすればよし、ということも子どもたちの間で暗黙のルールとなり、積極的に実践された。
遊び方はノック式ボールペンで消しゴムを弾くだけ
これが存在したからこそ、カー消しを使った遊びが成立したのだといえるボールペンが三菱鉛筆の「BOXY」だ。当時1本100円で販売されていた。「BOXY」が子供たちの間で定番となったのは、その形状が独特で、卓上に置いた際に物凄く安定感があったからだといえる。
カー消しを弾き飛ばす力を強めるために、内部のバネを取り出し、グゥ~っと伸ばしてから戻すチューニングが盛んに行なわれた。しかし、バネが細く、伸ばし過ぎてしまった場合にバネとしての機能が失われることがあった。
そこでバネを2本入れるチューニングも実践されたが、実戦経験が豊富、すなわち磨り減っている「BOXY」で“2本入れ”を行なうと、バネの力を解放するオレンジ色のボタン部が壊れてしまうことがあった。
売価が50円で、しかも「BOXY」よりもバネが太い=カー消しを弾き飛ばす力が強いボールペンも存在したが、亜種もしくは異端扱いされたこともあり、認知度、販売実績ともに「BOXY」の牙城に迫るまでには至らなかった。現在、50円ボールペンのメーカー名、商品名などは不明とされている。
「BOXY」を使ったカー消し遊びには、大きく分けて2種類があった。相手を土俵に見立てた机の上から押し出したら勝ちになる「カー消し相撲」と、決められたコースを走らせ、相手より先にゴールしたら勝ちになる「カー消しレース」だ。「BOXY」のワンプッシュで誰が一番遠くまでカー消しを飛ばせるか、というシンプルな遊びもあった。
勝つためにはどんな手があったの?
机との摩擦係数を減らすために、カー消しの底にホッチキスの針を打つことで飛距離を格段にアップさせることができた(画鋲やシャープペンシルの芯を刺すこともあった)。このカスタマイズは、レース時に威力を発揮した。
そして、本来は美術の時間に使うべき彫刻刀を悪用し、カー消しの中身をくり抜いてしまうというカスタマイズもあった。カー消しを思い切り軽量化できたので、こちらもレース時に有利なマシンを構築できた。
また、カー消しの裏面で少しだけ出っ張っているタイヤ部分にセメダインなどの接着剤を塗り、乾燥させて、滑りやすくする方法もあった。このイジり方がレース用カー消しを製作する際の正しいカスタマイズとして定着したといっていい。
手元にあったプラモデル用塗料の「うすめ液」にカー消しを一晩ぐらい浸けておくと、車体が硬化し、ひとまわり小さくなるという究極のカスタマイズもあり、この反則技によって完成したカー消しは長距離レースで圧倒的な強さをみせた。
カー消し相撲用のカスタマイズとしては、裏面のタイヤ部に練り消しを付けるという方法があった。滑りにくい練り消しにより摩擦係数が増大し、まさに横綱級の安定感を披露した。
あの頃、おこづかいをやりくりして買ったスーパーカーグッズ。当時の男の子なら誰もが夢中になったスーパーカー消しゴムは、シンプルだが実に奥深い世界だった。