スバルWRC参戦の黎明期に活躍したレオーネ&レガシィ
スバルのモータースポーツと言えば、先ずは1995年から1997年まで3連覇を果たした世界ラリー選手権(WRC)での活躍が連想されます。この間の主戦マシンは「インプレッサ」でしたが、その栄光の歴史へと繋がるパイオニアとなったモデルが「レオーネ」と「レガシィ」でした。今回は、この2台のパイオニアを振り返ってみます。
レオーネに世界初の量産乗用4WD車をラインアップ
レオーネの登場は1971年の10月。スバル(当時は富士重工業)は、初の小型乗用車となったスバル「1000 ff1 1300G」の後継上級モデルとして企画開発されたもので、先ずは2ドアのクーペのみでスタート。これに4ドアセダン、2ドアセダン、さらに4ドアセダンのルーフを伸ばしてリヤゲートを設けたエステート、そして2ドアハードトップも追加。シャーシとしては水平対向4気筒エンジンで前輪を駆動することがすべてに共通していましたが、最終的には5車形がラインアップされることになりました。
このレオーネに4輪駆動(4WD)が加わったのはデビューから1年たった1972年8月のこと。エステート/バン・ボディにパートタイム式のシステムを組み込んだ「エステート バン 4WD 1400」がラインアップされたのです。じつは先代の1300Gの時代にも、東北電力や宮城スバルと共同で開発したスバル「ff1 1300Gバン 4WD」が20台ほど製作されていましたが、レオーネへの移行がすでに決まっていたことから、これが量産されることはなく、乗用4輪駆動車として初の量産モデルの栄誉は1300Gではなくレオーネに与えられることになったのです。
スバル1000からの大きな技術的特徴である水平対向エンジンに加え、4WDシステムを手に入れたことで、現在に続くスバルの技術テーマ、シンメトリカルAWDが完成し、ここからスバルは精力的にラリー活動を開始することになりました。
1980年に悲願のWRCに参戦! サファリラリーでデビュー
スバルは、1000 ff1 1300Gの頃から熱心にラリー活動を続けていました。もっとも当時はメーカーが前面に立っての参戦ではありませんでしたが、有力なドライバーの手によって国内最高レベルのラリー競技に参戦を続けていました。
筆者は当時、モータースポーツ専門紙のリポーターとしてラリーを取材していましたが、三菱ランサーやトヨタのレビン/トレノに交じって孤軍奮闘するスバルは、ライバルと違って前輪で路面を蹴るために、ホイールベース間のフロアに砂利を蹴り上げることになり、ガレ場でのステージではフロアに石礫の当たる音がこだましながら近づいてきます。そこで、マシンを待つ報道陣は「スバルが来た!」となったことを記憶しています。
そんなスバルが初めてWRCに参戦したのは1980年のこと。かねてより念願となっていたサファリラリーへの挑戦が叶ったのです。この時の競技車両は前年に登場した2代目レオーネで、新たに加わった3ドアハッチバックのスイングバック1600 4WDでした。チューニングが厳しく制限されたグループ1仕様での挑戦は、高岡祥郎/M.ゴーヒル組と平林武/A.カーン組の2台体勢でのエントリーでした。
久々に完全ドライとなった1980年のサファリラリーは、非力なグループ1仕様にとってはタフなコンディションとなり、高岡/ゴーヒル組はエンジントラブルでリタイアしてしまいましたが、もう1台の平林/カーン組は総合18位で完走。グループ1で見事クラス優勝を果たしています。その後もスバルは、年に一度のサファリ参戦を続け、1980年代を通して4度のクラス優勝を果たしています。