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総走行距離51万kmオーバー! レースカメラマンが愛してやまない名車「初代プリメーラ」の魅力とは 

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TEXT: 加藤元章  PHOTO: 田村弥

プリメーラを27年、51万km走破しても飽きない魅力とは?

 日産自動車が1990年に発売した中型セダン「プリメーラ」。当時、欧州車を強く意識した外観やFF(前輪駆動車)とは思えない走行性能がクルマ好きの間で話題となった。

 そんなプリメーラを新車で購入して27年、不運な事故に遭遇しながらも総走行距離51万kmを超えた今も仕事やプライベートのお供として乗り続けているカメラマンがいる。一体どんなところが気に入って所有しているのだろうか? 日産初代プリメーラ

自動車レースでの活躍に憧れて1994年に購入

 今回お話を伺った田村弥(わたる)さんは、レースの撮影をメインに、普段はいくつもの自動車媒体で活躍する売れっ子カメラマンだ。氏の愛車は日産初代プリメーラとトヨタ・スプリンタートレノ(某有名漫画の主役機)という、クルマ好きからすればなかなか羨ましい2台態勢である。初代プリメーラを1994年に新車で購入し、その後スプリンタートレノを増車したという。日産初代プリメーラ

「プリメーラは、当時勤めていた写真事務所から独立してフリーランスになる際、初めての愛車として購入しました。それまで仕事では件の事務所の社用車を使っていたのですが、独立したらそういうわけにもいかないだろうと思って」日産初代プリメーラ

 日産車を乗り継いでいた両親の影響もあり(!?)日産車が好きだった田村さん。往年の名車スカイラインGT-Rも気になったが、当時始まっていた全日本ツーリングカー選手権(以下JTCC/1994年から1998年まで、日本で開催されていた自動車レースのこと)でプリメーラが出走していたことも同車購入の決め手だった。

「JTCCで当時日産はプリメーラを2台出走させていて、カリスマ的人気を誇っていたレーシングドライバーの星野一義さん、長谷見昌弘さんがドライブしていましたね。超接近戦が見物のかなりヤンチャなレースで、観戦していてとても面白かったですね」

 購入した当初はホンダ・シビックタイプR(当時若者を中心に絶大な人気を誇った大衆車ベースのスポーツカー)に乗る友人の影響もあり、プリメーラに改造を施して夜な夜なワインディグを走り込んだりもした。

「サスペンションをガチガチに固めたり、サーキット走行も楽しみました。友人のシビックタイプRにはとても敵いませんでしたが」日産初代プリメーラ

老舗ショップでエンジンに手を入れてパワーアップ

 購入してまもなく自損事故をしてしまったものの、それ以来は仕事の足として順調に走行距離を伸ばしていった。自動車メディアの仕事は箱根など風光明媚な場所で行うことが多く、仕事を請け負うカメラマンのクルマは距離が伸びがち。手に入れてから10年足らずに走行距離は20万kmを超えた。一般的な使い方の倍以上である。そんな折、老舗のカーカスタマイズメーカー「東名パワード」でエンジン内部に改造を施すことになった。

「とある自動車メディアの仕事をしていたとき、『20万km走行したSRエンジン(プリメーラの搭載エンジン)はどうなっているのか』という企画のお手伝いで、エンジンのオーバーホール(分解整備)をするついでに東名パワードで改造を行いました。結果、低い速度でもアクセルをひと踏みすれば、ぐいっと前に出るようになって、とても乗りやすくなりましたね」

 同時にマニュアルトランスミッションも組み直して修理したリビルト品に載せ替えた。壊れたからではなく、予防整備としてだ。クラッチ関係の不具合はあったものの、それ以外トラブルらしいトラブルはない。20万kmを超えてからも、快調に距離を重ねていった。日産初代プリメーラ

「その頃レースの仕事は自走がとても多かったので、今より動かしていましたね」

気がつけば、所有して25年を超え、オドメーターはとっくに40万kmを超えていた。

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