アウトドアもカスタムもレガシィが主役だった90年代
90年代の「ツーリングワゴンブーム」先駆者と言えば、SUBARUのレガシィである。その後ミニバンやSUVなどのブームもあったが、この時期は日本のあらゆる道でワゴンが幅を利かせ、カスタマイズ業界でも一大ブームとなった。1989年に初代が誕生し、3世代の代替わりをして一世を風靡した1990年代のレガシィを振り返る。
ワゴンとセダンの2本柱でクルマ好きのハートを鷲づかみ
時は平成を迎えたばかりの1989年。それまでのスバルの主力車種であったレオーネに別れを告げ、新世代の主力としてレガシィシリーズは登場した。ボディ形状はセダンとツーリングワゴンの2タイプ。 登場当時はステーションワゴンとライトバンの区別があいまいな時代。レガシィはワゴン専用ボディとしたこともイメージアップに貢献した。EJ20ターボの「GT」がイメージリーダーとなったが、限定車の「STi」や2.2Lに排気量を拡大した「ブライトン220」、一部グレードにはエアサス仕様車を設定するなど豊富なグレード展開も魅力だった。
レオーネ時代は1.8LSOHCエンジンを中心としたラインアップであったが、レガシィは2.0L DOHCエンジンにフルタイム4WDの組み合わせを主力とし、最強モデルのセダンRSには水冷式インタークーラーターボを搭載。当時としては一気に国産車トップクラスの性能を誇る地位を築いた。このセダンRSは、その実力を実証するためにアメリカ・アリゾナ州フェニックスで、10万km世界速度記録に挑戦。
見事走行平均速度223.345km/hという国際記録(当時)を樹立した。そして、登場から7カ月後の1989年9月にセダンRS用のEJ20ターボをATにもマッチするプロファイルへ変更したGTが登場。ツーリングワゴンにも待望のターボモデルが追加された。当時のアウトドアブームという追い風もあり、スポーツカー顔負けの走りができる「ハイパワーワゴン」という地位を確立。一気に人気がブレイクする。翌1990年からは、レガシィセダンRSでWRCへ参戦。1993年のニュージーランドラリーで、初優勝を飾る。以降のモータースポーツにはインプレッサWRXへバトンタッチ。レガシィは走りのイメージを残しつつフラッグシップとしての役割を担うことになる。
主力とされていたセダンは世界速度記録の樹立やWRCでの初優勝といったインプレッサWRXの礎としての役割も大きかった。競技ベース車として設定されたRSタイプRAは、STIが手掛ける初のバランスドエンジン搭載モデルとなった。RAにはRecordAttempt(記録への挑戦)の意味がこめられ、その特別さはBRZやWRXなど近年のモデルでも受け継がれている。
280psを達成し最も売れた2代目が伝説を作る
2代目レガシィは1993年にデビュー。初代からのキープコンセプトながら、より洗練されたデザインとなり、人気が加速。当時は他メーカーがモデルチェンジをする度に肥大化される中、レガシィは初代モデル比で全長を60mm延長するにとどめ、扱いやすいサイズであったことも人気を後押しした。
主力は2.0L DOHCエンジンのEJ20だが、2代目ではNAモデルも含めスペックを向上。特にターボモデルはインタークーラーが空冷化されたほか、ふたつのタービンを持つシーケンシャルツインターボとし、シングルターボのインプレッサWRXとは明確なキャラクター分けを行った。また、パワーユニットは2.5L DOHCエンジンが追加となり、2.2L SOHCと置き換えた。メカニズム面ではアルシオーネSVXに採用されていた不等可変トルク配分型センターデフ(VTD)をターボのAT車に採用したこともトピックだ。
1996年に登場した後期型ではセダンRS、ワゴンGT‒BのMT車において、2.0L車初の最高出力280psを達成。空前の国産車パワー戦争の上位に名を連ねた。またビルシュタインダンパーや17インチホイールの標準装備などもあり、当時のクルマ好きから一目置かれる存在となった。ちなみに2代目レガシィの国内外合わせた総生産台数は96万1825台。月間販売台数はなんと最高で1万4509台というとんでもない記録を打ち出したことも、2代目レガシィ伝説のひとつだ。
また、2代目ではグランドワゴンが登場(輸出名はアウトバック)。悪路走破性を高めた200mmのロードクリアランスに 2.5L NAエンジンという組み合わせはこの時から変わらない。当初はカジュアルなインテリアが特徴だった。
3代目-->
利便性や安全性を大幅に進化させた3代目の存在意義
90年代も終盤に差し掛かった1998年、レガシィは3世代目へとフルモデルチェンジを行った。キャッチコピー「新世紀レガシィ」の名の通り、世紀へ向けた大幅な改良が施された。設計はこれまでセダンをベースにワゴンを製作してきたが、3代目はワゴンのユーティリティを向上させる意味も込めワゴンベースで設計された。リヤサスペンションは2代目までのストラット式からマルチリンク式へ変更。ラゲッジスペースを拡大するとともに、悲願の後席リクライニング機構をレガシィとして初採用した。
また、ボディも衝突安全性を考慮し剛性を大幅に向上させた新環状力骨構造ボディを採用。さらに運転席、助手席のエアバッグとABSに加え、全席3点式シートベルトとヘッドレストをこの時から全車標準化していた。また、パワートレインも全車フルタイムAWDとなった。3代目では横滑り防止装置「VDC」やアイサイトの前身となる「ADA」を一部のグレードに設定。電子制御による運転支援の先駆けはまさにこの3代目レガシィからといえるだろう。
もちろんHIDヘッドランプやマッキントッシュサウンドシステムといった魅力的な装備も充実し商品力を高めていたことも特徴だ。またワゴン登場から半年後にセダンも登場。B4のサブネームが与えられ、ターボモデルのRSKとNA DOHCのRSというシンプルな2グレード構成でスポーツセダンというコンセプトで割り切ったのも功を奏し、人気も高かった。
グランドワゴンはランカスターと名前を変え、よりキャラクターを強めた。登場時2.5L NAモデルのみを設定。1999年の改良でアイサイトの始祖といえるステレオカメラを用いた先進運転支援システムADA(ActiveDrivingAssist)も登場した。
また、北米専売モデルとしてレガシィベースの4人乗りピックアップトラックの「BAJA(バハ)」も設定されていた。NAモデルの他ターボモデルも存在した。