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なんと「オリンピック」というクルマが存在した! マニア過ぎて誰も知らない「幻のスポーツカー」秘話

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

当時としては平均以上のハイスペックだった

 それではロッチデール・オリンピックについてもう少し詳しく解説していきましょう。モノコックまでGFRPを成形して製作されていることは先にも触れたとおりですが、バークレーの各モデルやロータスのエリートが2シーターであったのに対してオリンピックは2+2で、狭いながらもリヤシートを確保していたのが大きな違いです。

 またバークレーの各モデルがオープンモデルだったのに対してオリンピックは(エリートと同様に)クローズドのクーペモデル、当時の表現を使うならフィクスドヘッドクーペ(FHC)だったことも特徴のひとつ。

 当初は2ドアのみでしたが、1963年の登場した後期モデル(フェイズII)ではリヤにハッチゲートを持った3ドアクーペとなりユーティリティでも充分な性能向上が図られていました。

 GFRPモノコックに組付けられたサスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン、リヤはトレーリングアームとパナールロッドを組み合わせてコイルスプリングで吊った、当時としてはコンベンショナルなデザインを採用。フロントにはディスクブレーキを奢るなど、当時としては平均以上のハイスペックでした。

180km/hを超える最高速度を誇った

 一見しただけでは可愛らしい印象が強いクーペボディは、デザインされるときから空力の追求……当時の常で、先ずは空気抵抗の低減がメインテーマだったようですが、結果的に180km/hを超える最高速度を可能にしていました。搭載されるエンジンの候補としてはいくつかあったようですが、フェイズIIではフォード・コーティナ用1.5L直4をチューンして78馬力を絞り出すフォード116Eユニットを搭載。また700kgを切る軽量さも大きな武器となっていました。 赤い個体はイギリスはハインズ国際自動車博物館で出会った2ドアクーペ。全長3610mm×全幅1625mm×前高1270mmの3サイズは現行のAセグメントに収まっていますが、例えば代表的なモデルとしてトヨタ・パッソ/ダイハツ・ブーンと比べると全長と全幅はほぼ同じながら全高は25cmも低く、車重も300kg近く軽く仕上がっていました。

 もちろん、レギュレーションによって車重が増えてしまう傾向があるのも理解できますが、60年ほども昔のクルマをもう一度見直して、新たなクルマの常識を考えてみる必要がありそうです。そういえばオリンピックも1964年の東京オリンピックは、大いに存在意義があったし、国を挙げて、国民すべてが一丸となって沸いていた記憶があります。いろいろな意味で過去を振り返ってみることも、重要だということですね。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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