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なんと「オリンピック」というクルマが存在した! マニア過ぎて誰も知らない「幻のスポーツカー」秘話

オリンピックのいざこざで思い出したイギリスのとあるスポーツカー

 いよいよ東京2020オリンピックが開幕しました。開催か中止か? 有観客か無観客か? さまざまな紆余曲折もありましたが、大会の成功を祈らずにはいられません

 そして選手の皆さんの活躍を祈らずにはいられません。ただしクルマ好きとしては、何かオリンピックに関わるテーマでクルマ好きの話をしてみたい、と思っていたところテーマにピッタリのクルマが思い浮かびました。

 その名もオリンピック、正確にはロッチデール・オリンピックという名のスポーツクーペです。

もともとはボディを製作する会社だった

 オリンピックを製作したのはイギリスはマンチェスター近郊にあるロッチデールに本拠を構えるコンストラクターです。イギリスのコンストラクターと言えばレーシングカーだけでなくロードカーも数多く生産していたロータスが有名ですが、ロッチデールは正式な社名、ロッチデール・モーター・パネルス・アンド・エンジニアリングから分かるようにクルマのボディ(パネル)を製作する会社でした。

 フランク・バターワースとハリー・スミスによって1948年に立ち上げられた会社は、そもそも暖房や換気システムなどを製作する傍らで、2人がレースで使用するボディパネルを製作していましたが、やがてそちらが本業になったという訳です。 ロッチデールが最初に手掛けたクルマ(?)は、合金パネルを成形したシングルシーター用のボディカウルでしたが、やがては軽量素材として注目を集めるようになったグラスファイバー(GFRP=ガラス繊維で強化したプラスチック樹脂)を使用したボディパネルを完成させました。

 最初は強度が足りず、なかなか満足できる製品が出来上がりませんでしたが、1957年に登場したロッチデールGTでは初めてクローズドのクーペボディとしたことで満足できる剛性を確保し、大ヒットとなりました。

キットメーカーからコンストラクターへ発展

 当初は、フォード・ポピュラーのフレームやエンジンなどの主要コンポーネントを組み込むキットカーでしたが、やがてロッチデールによるオリジナルシャシーも完成しています。キットカーメーカーから文字通りのコンストラクターへと発展していったのです。

 そんなロッチデールの新しい一歩となった商品が1959年に登場したオリンピックで、ボディカウルだけでなくフレームまでGFRP(ガラス繊維強化樹脂)を成形して製作するというものでした。

 モノコックまでGFRPで成形して仕上げるクルマと言えば、イギリスのキャラバンメーカー(=キャンピングトレーラー)のバークレーだ。同社はキャラバンを生産する過程で、自ら培ってきたGFRPのノウハウを生かすべく1956年から製造を始めた2シーターオープンのスポーツSA322や、ロータスが1957年にリリースした初代のエリートに次いで登場した。GFRP製コンプリートカーとしては草分け的なモデルでした。

 ちなみに、写真で紹介した赤いバークレーは、59年に登場したT60。タイのジェッサダー・テクニック博物館で出会った1台で、フロント2輪の3輪マイクロカーですが、GFRP製のモノコックを持っていることでは草分けの1台と呼んでいいでしょう。また緑のロータスはビューリー国立自動車博物館で出会ったエリートのフェイズII(後期モデル)です。

当時としては平均以上のハイスペックだった

 それではロッチデール・オリンピックについてもう少し詳しく解説していきましょう。モノコックまでGFRPを成形して製作されていることは先にも触れたとおりですが、バークレーの各モデルやロータスのエリートが2シーターであったのに対してオリンピックは2+2で、狭いながらもリヤシートを確保していたのが大きな違いです。

 またバークレーの各モデルがオープンモデルだったのに対してオリンピックは(エリートと同様に)クローズドのクーペモデル、当時の表現を使うならフィクスドヘッドクーペ(FHC)だったことも特徴のひとつ。

 当初は2ドアのみでしたが、1963年の登場した後期モデル(フェイズII)ではリヤにハッチゲートを持った3ドアクーペとなりユーティリティでも充分な性能向上が図られていました。

 GFRPモノコックに組付けられたサスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン、リヤはトレーリングアームとパナールロッドを組み合わせてコイルスプリングで吊った、当時としてはコンベンショナルなデザインを採用。フロントにはディスクブレーキを奢るなど、当時としては平均以上のハイスペックでした。

180km/hを超える最高速度を誇った

 一見しただけでは可愛らしい印象が強いクーペボディは、デザインされるときから空力の追求……当時の常で、先ずは空気抵抗の低減がメインテーマだったようですが、結果的に180km/hを超える最高速度を可能にしていました。搭載されるエンジンの候補としてはいくつかあったようですが、フェイズIIではフォード・コーティナ用1.5L直4をチューンして78馬力を絞り出すフォード116Eユニットを搭載。また700kgを切る軽量さも大きな武器となっていました。 赤い個体はイギリスはハインズ国際自動車博物館で出会った2ドアクーペ。全長3610mm×全幅1625mm×前高1270mmの3サイズは現行のAセグメントに収まっていますが、例えば代表的なモデルとしてトヨタ・パッソ/ダイハツ・ブーンと比べると全長と全幅はほぼ同じながら全高は25cmも低く、車重も300kg近く軽く仕上がっていました。

 もちろん、レギュレーションによって車重が増えてしまう傾向があるのも理解できますが、60年ほども昔のクルマをもう一度見直して、新たなクルマの常識を考えてみる必要がありそうです。そういえばオリンピックも1964年の東京オリンピックは、大いに存在意義があったし、国を挙げて、国民すべてが一丸となって沸いていた記憶があります。いろいろな意味で過去を振り返ってみることも、重要だということですね。

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