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1964年当時の「聖火」も発見! 東京オリンピックで活躍した超希少「プリンス・グロリア」物語

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TEXT: 片岡英明  PHOTO: 小林 健

1964年に街を沸かせた95台の超希少車

 1964年東京オリンピック。開幕前の聖火リレーは今回よりも盛大で盛り上がっていた。走者を先導する車両にも俄然注目が集まる。プリンス自動車の「グロリア」もその1台。オリンピック仕様のみの水色を纏い95台だけ作られた専用モデル。なんと現存(しかも公道を走れる姿で)する1台の取材に成功。トランクにはなんと当時の「聖火」が積まれていた!

57年の時を越えて令和の街を走る

 待ちに待った東京2020オリンピック・パラリンピックの幕が開けた。東京2020大会に使われる関係車両は電動車だ。滑るように走るが、新型コロナウイルスの影響で、聖火リレーも思うようにできなかったから、関心は今一歩にとどまっている。だが、1964年(昭和39年)10月に開催された前回の東京オリンピックは国民が一丸となってオリンピックを楽しんだ。競技だけでなく、聖火リレーも国民の関心事だったから、オリンピック専用車両にも注目が集まっていた。

 東京オリンピックを前に、大会委員会は自動車メーカーに協賛を呼びかけ、オリンピック専用車両の提供を申し出ている。プレミアムセダンを販売しているトヨタ自動車、日産自動車、プリンス自動車、三菱重工の4社に、大会役員や関係者、各国の記者団を乗せるセダンや聖火リレーの先導車の提供を要請したのだ。4メーカーはこれを快諾し、各メーカーのフラッグシップセダンを提供した。大会に使われた車両の中でもっとも多くの人の目に触れ、目に焼きついたのは、聖火ランナーの前を走る先導車だったことは言うまでもない。協賛したプリンス自動車は、フラッグシップのグロリアを100台ほど提供し、大会車両に仕立てた。

千歳から東京へ聖火を繋ぐコースを担当

 グロリアはプリンスの前身である富士精密工業が1959年2月に発売した高級車である。その当時、国産車として最強スペックを誇り、西陣織の高級なシートなど、装備も驚くほど豪華だった。そして1962年9月に2代目にバトンタッチした。東京オリンピックの協賛車両は、S40の型式を与えられた、この2代目グロリアだったのである。

 プリンスは、オリンピック開催1年前の1963年、G7型と名付けられた日本初のSOHC方式の直列6気筒エンジン(排気量1988cc)を積むグロリア・スーパー6を発売している。上質な走りのスーパー6は10台を提供し、東京を中心に、大会役員などの送迎に使われた。しかし、もっとも目に触れたのは、95台が提供されたグロリア・デラックスだ。1862ccのG2型直列4気筒OHVエンジン(グロス91ps/4800rpm)を積むグロリア・デラックスは、大会関係者の送迎などに加え、全国各地で行われた聖火リレーの先導役を担うなど、活躍している。

 役員などが乗るグロリア・スーパー6は、濃いブルーのボディカラーだった。これに対し、多くを占めるグロリア・デラックスは、ボディカラーを水色に塗っている。純正カラーはメタリックを混ぜた高級そうな水色だが、オリンピック専用車両のグロリアはソリッドペイントの美しい水色だ。その理由は、JOC(日本オリンピック委員会)からオフィシャルカラーの空色に塗ってほしい、と要請があったので、プリンス自動車は律儀にボディカラーを塗り替えたと伝えられている。

 東京オリンピックの花形イベントのひとつである聖火リレーは、空路で聖火がギリシャから日本に届けられたことから始まった。そして北海道、青森、鹿児島、宮崎と4つのコースに分かれ、各メーカーを代表するセダンが聖火を先導して東京を目指す。グロリアが担当したのは、千歳から太平洋岸を通って東京に入るコースだ。4つのルートから運ばれてきた聖火は皇居前でひとつになり、国立競技場まで最後のスパートをかけた。このときの伴走車を務めたのはグロリア・スーパー6。

 

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