個性的なクルマが続々と登場していた!
いろいろと物議を醸し出している今回の東京オリンピック(正式名称は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会)。踏んだり蹴ったりという感じだろうが、前回の東京オリンピックはというと大成功だった。
1964年に開催されていて、1970年の大阪万博に向かう1960年代というのは、高度経済成長の時代だけに大きな推進力となったのは確かだ。ちなみに夢の乗り物、新幹線が開業したのも1964年だし、1963年の名神高速道路を皮切りにどんどんと高速道路網も増えていった。
そうなると日本のモータリゼーションも大きく盛り上がったわけで、続々と新型車が登場。新車なんて高くておいそれと買えなかったが、庶民へと広がりを見せたのも事実だ。今回はオリンピックを記念して、1964年に出たクルマを見てみよう。
プリンス・スカイライン2000GT
2代目スカイライン自体は1963年に登場したが、1.5Lの直4を積む小型セダンだった。第1回日本グランプリで惨敗したことを受け、スカイラインのフロントを伸ばして(本当に切った貼ったで追加した)、直6を積んで登場したのがホモロゲモデルの2000GTだ。GT-Rへと続く系譜はここから始まったと言っていい。ポルシェと競るなどレースでも活躍し、スカGの愛称で親しまれた。100台限定だったが、大好評でS54AやBなどが登場した。
いすゞ・ベレット1600GT
1960年代から1970年代というのはGTの時代だ。ヨーロッパ流のグランツーリスモの略だが、日本車で最初に名乗ったのはスカイラインではなく、こちら。通称ベレG。OHVだったが、その後、エンジンバリエーションも増えて、GTRも登場した。
トヨタ・クラウンエイト
モータリゼーションが進めば当然、高級車の需要も増えた。クラウンに日本初のV8エンジンを搭載したのが、その名もクラウンエイト。トレッドも広げられていて存在感十分。パワーウインドウも採用していた。
プリンス・グランドグロリア
ライバルであるグロリアは直6で勝負。この時代はまだプリンス製だ。前年に登場したスーパー6をベースにして、2Lから2.5Lへと排気量を拡大。さらに4バレルのキャブレーターを装備するなど、走りにこだわったのはさすがプリンスといったところ。最高速度170km/hを誇ったのはさすがだ。パワーウインドウを日本車で初採用したモデルでもある。ボディは3ナンバーだ。