多気筒、ターボ、ツインカム、ロータリーで飛び抜けたツワモノ・エンジンたち
さて、2輪のエンジンはそのくらいにして4輪のエンジンについても歴史を振り返ってみましょう。2輪と同様に4輪でも、高出力を引き出すために排気量の拡大と多気筒化がすすめられました。 アルファロメオでは戦前から戦後にかけて活躍したGPカー、ティーポ158、通称“アルフェッタ”用に直列8気筒エンジンを開発していましたし、フェラーリもスポーツカーレースでポルシェ917に打ち負かされた教訓からフラット(水平対向)12のティーポ015を開発、フェラーリ312シリーズに搭載しF1GPにおいて我が世の春を謳歌することになりました。
エンジンが進化してきた過程では、排気量の拡大以外にも最高出力を引き上げるための、さまざまな手法が見られます。ツインカム・エンジンはその典型でしょう。
1912年にはプジョーがツインカム・エンジンを搭載したグランプリマシンを製作し同年のACFグランプリを制覇。インディ500マイルも制しています。戦前は主にレーシングカーに搭載されていたツインカムエンジンですが、アルファロメオは戦前から市販車にも採用していました。
そして戦後は一部の高性能スポーツカーなどの市販車にも搭載されるようになりました。国内で初めてツインカムエンジンを搭載した市販車は、1963年に発売が開始されたホンダの軽トラック、T360でした。搭載されたAK250Eエンジンは、ツインカム以外にも、水冷の直列4気筒と高度なメカニズムがふんだんに盛り込まれていました。 他の軽自動車の多くが、空冷2気筒の2ストロークエンジンを搭載していたのとは好対照で、以来、ホンダのエンジン神話が語り継がれていくようになりました。日本が世界に誇る技術遺産です。
一方、最高出力を捻り出す手法としては過給機があります。とくに排気ガスのエネルギーを使ってエンジンにより多くの混合気を押し込むターボチャージャーは近年、ダウンサイジングターボとしてエンジンの環境性能引き上げに大きく寄与する手法となっています。
そのターボを、最初にF1GPに持ち込んだのはフランスのルノーでした。
70年代序盤からル・マン24時間を始めとするスポーツカーレースでターボの技術を磨いてきたルノーは、1978年に悲願のル・マン制覇を果たすことになりましたが、実はその前年からF1GPへの挑戦を開始しています。 熱害やタイムラグの克服などに時間を費やしていった結果、パワーユニットが安定して高いパフォーマンスを発揮するようになり、デビュー3年目の1979年に初優勝を飾っています。EF1からEF4、EF15と名前を変えながら進化を重ねていったルノーのターボエンジンは、結果的にチャンピオンを奪うことはできませんでしたが、フェラーリやBMW、ポルシェ、ホンダがこれに続いてターボエンジンを投入。1988年にはホンダが16戦15勝という圧倒的な強さを発揮することになりましたが、それもこれもルノーがF1にターボを持ち込んだことが原点となっています。それだけにルノーのターボエンジンも技術遺産と言ってよいでしょう。
一方、ピストンがシリンダー内を上下するレシプロエンジンに対して全く違ったプロセスでパワーを生み出すのがロータリーエンジン(RE。海外ではヴァンケル・エンジンと呼ぶのが一般的)ですが、ある意味その集大成となったユニットが、1991年のル・マン24時間を制覇したマツダ787Bに搭載されていたR26B型4ローターREでした。
1973年に登場した2代目ルーチェに搭載されてデビューした13Bエンジンがベースとなり、2ローターを4ローターにコンバート。吸気用エアファンネル(マツダの公式資料では吸気用エアホーンとされています)の長さをスロットル操作に連動して伸縮させ、低回転域では長くしてトルクを厚くし、高回転域では短くしてパワー重視、とキャラクターを変えていくシステムを組み込み、また燃料噴射もファンネルへの噴射ではなくペリフェラル噴射……つまりはレシプロエンジンで言うところの筒内噴射(直接噴射)を採用するなど、磨いてきた最新技術を惜しみなく盛り込んでいました。 そもそもRE自体がマツダしか量販車としての商品化を果たすことができなかった技術ですから、その集大成たるR26Bエンジンも技術遺産です。