驚きが詰まった内燃機関エンジン 知らないままではもったいない
カーボンニュートラルだ、電動化だ、と喧しい日々が続いていますが、19世紀末に誕生し、120年以上も進化を続けてきた内燃機関にもまだまだ頑張ってもらいたいと思う今日この頃です。というワケで今回は、これまでの歴史を振り返りつつ、技術遺産として後世に語り継ぎたい、エンジン(内燃機関)を紹介していきます。
抜け出たダイムラーのガソリンエンジン
そもそもの始まりは、1883年にゴットリープ・ダイムラーがキャブレターを組み付けた4サイクルのガソリンエンジンを発明して特許を取ったことでした。それ以前にもさまざまなアイデアが生まれ、試作も繰り返されてきましたが、このダイムラーが2年後の1885年に特許を取得し、それを搭載した2輪車を製作。
さらにダイムラーと一緒になって現在のダイムラー社を創設するカール・ベンツが独自のエンジンを搭載した3輪車を1885年に製作していますが、現在はこれが自動車(エンジン付きのクルマ)の起源とする説が一般的になっています。
以後、内燃機関はパフォーマンスアップを続けていきました。最初のうちは排気量の拡大→多気筒化が進められますが、その過程において直列エンジンだけでなくV型エンジンや水平対向エンジンが登場してきます。
ちなみに、水平対向エンジンを発明したのもカール・ベンツでしたから、ダイムラーが『クルマの生みの親』を標榜しているのも納得です。
エンジンをアピールする2輪こそ多気筒化や星型にドッキリ
それはともかく、4輪だけでなく2輪車でも多気筒化は進んでいきましたが、当初は自転車に毛が生えた程度、全幅が狭いフレームに搭載するために4気筒エンジンを縦置きにマウントしたピアス・アロー(Pierce-Arrow)だったり。
あるいは星型エンジンをフロントのホイール内にマウントしたメゴーラ(Megola)だったり、と変わり種も多く登場してきました。
しかし、1969年にホンダがドリームCB750FOURで並列4気筒(正確には横置きの直列4気筒)をリリース。
さらにはイタリアのベネリ(Benelli)が1972年にベネリ・750セイ(セイ=Seiはイタリア語で6)をリリースしたことで6気筒さえも一般的になってきました。
そんな流れをさらに加速させた多気筒マシンがイタリアのモルビデッリが1994年にリリースしたモルビデッリV8 スポーツツアラーでした。これは文字通りV8エンジンを縦置きにマウントしたものでカウルの下には4気筒分のツインカムヘッド&シリンダーが、それぞれ左右に顔を見せていて、メカマニアの心をくすぐります。
またオートバイのカスタム化の巨匠として知られる英国人のアラン・ミリヤード(Allan Millyard)さんはカワサキの900 Super4、通称“Z1”の並列4気筒エンジンを2基使って横置きのV8エンジンを創って見せたり、
生みだすと言えば最初にV8エンジンを搭載したスポーツツアラーを生産したモルビデッリではV12エンジンを試作していました。
これは2013年にイタリアの自動車博物館を巡っていた際、スケジュールの関係から2輪の博物館も見ておこうと、モルビデッリ博物館を訪ねた時のことですが、事前にメールでアポを取ってはいたのですが、訊ねてみると行き違いでもあったのでしょうか、エントランスのベルを押しても返答がありません。そこで恐る恐る電話したところ、創業社長のジャンカルロ・モルビデッリ翁が自ら案内役を務めてくれました。
片言の英語しか喋れないアラ還ライターのことを気に入ってくれたか、工房の中まで連れて行って、開発途中(?)だったV12エンジンを見せてくれ、また自らモデル役も勝って出てくれました。ホンダが2輪の世界GPに挑戦を始めたころ、決まって使われた形容句……腕時計のように精巧な……もそのまま、まだまだ試作の途中ではありましたが、それでも十分に商品性の高さが感じられる仕上がりでした。
残念ながら片言の英語……ジャンカルロ翁もイタリア語の他は片言の英語で、詳細は理解できずおしまいとなりました。そのジャンカルロ翁も昨年、冥界に旅立たれたために永遠に聞き出せなくなりました。翁のご冥福を心よりお祈りするばかりです。
多気筒、ターボ、ツインカム、ロータリーで飛び抜けたツワモノ・エンジンたち
さて、2輪のエンジンはそのくらいにして4輪のエンジンについても歴史を振り返ってみましょう。2輪と同様に4輪でも、高出力を引き出すために排気量の拡大と多気筒化がすすめられました。
エンジンが進化してきた過程では、排気量の拡大以外にも最高出力を引き上げるための、さまざまな手法が見られます。ツインカム・エンジンはその典型でしょう。
1912年にはプジョーがツインカム・エンジンを搭載したグランプリマシンを製作し同年のACFグランプリを制覇。インディ500マイルも制しています。戦前は主にレーシングカーに搭載されていたツインカムエンジンですが、アルファロメオは戦前から市販車にも採用していました。
そして戦後は一部の高性能スポーツカーなどの市販車にも搭載されるようになりました。国内で初めてツインカムエンジンを搭載した市販車は、1963年に発売が開始されたホンダの軽トラック、T360でした。
一方、最高出力を捻り出す手法としては過給機があります。とくに排気ガスのエネルギーを使ってエンジンにより多くの混合気を押し込むターボチャージャーは近年、ダウンサイジングターボとしてエンジンの環境性能引き上げに大きく寄与する手法となっています。
そのターボを、最初にF1GPに持ち込んだのはフランスのルノーでした。
70年代序盤からル・マン24時間を始めとするスポーツカーレースでターボの技術を磨いてきたルノーは、1978年に悲願のル・マン制覇を果たすことになりましたが、実はその前年からF1GPへの挑戦を開始しています。
一方、ピストンがシリンダー内を上下するレシプロエンジンに対して全く違ったプロセスでパワーを生み出すのがロータリーエンジン(RE。海外ではヴァンケル・エンジンと呼ぶのが一般的)ですが、ある意味その集大成となったユニットが、1991年のル・マン24時間を制覇したマツダ787Bに搭載されていたR26B型4ローターREでした。
1973年に登場した2代目ルーチェに搭載されてデビューした13Bエンジンがベースとなり、2ローターを4ローターにコンバート。吸気用エアファンネル(マツダの公式資料では吸気用エアホーンとされています)の長さをスロットル操作に連動して伸縮させ、低回転域では長くしてトルクを厚くし、高回転域では短くしてパワー重視、とキャラクターを変えていくシステムを組み込み、また燃料噴射もファンネルへの噴射ではなくペリフェラル噴射……つまりはレシプロエンジンで言うところの筒内噴射(直接噴射)を採用するなど、磨いてきた最新技術を惜しみなく盛り込んでいました。
「ニッポン・レース・エンジン」は低燃費とパワーアップを両立
ここまで紹介してきたエンジンは、いずれも最高出力を引き上げるために排気量を拡大したり、より多くの混合気を燃焼室に押し込もうとしたり、そんな技術でした。もちろんその技術も素晴らしいのですが、実はもっと素晴らしい技術、環境技術の向上も目指したエンジンがあります。それがSUPER GT(S-GT)やスーパーフォーミュラ(SF)といった国内最高カテゴリーのレースで使われているN・R・E(Nippon Race Engine)です。
技術的にみて最大の特徴は、燃料の流量を制限して最高出力を制限していること。これまで吸気制限や電気的なレブリミッターでパワーを制限するのが一般的でしたが、N・R・Eでは燃料リストリクターを装着し使えるガソリンの量を制限しようとするもの。つまりガソリンを野放図に使うのではなく、燃焼効率を高めていってパワーアップを図ろうというものです。
そしてもうひとつ、技術的な特徴に加えて哲学的(?)な特徴として、レースを戦っているトヨタとホンダ、そして日産の技術者が顔を突き合わせてパッケージを決定していったことが挙げられます。モータースポーツが生き残っていくために協調と競争が両立したのです。
今シーズンここまでは、スーパーGT選手権で3戦2勝、スーパーフォーミュラ選手権で4戦3勝とホンダが優勢ですが、レースの面白さを台無しにするワンサイドゲームではないことからも、N・R・Eのコンセプトが的を射ていたことが分かります。もちろんこれも我が国の技術遺産に認定したいところです。