みんなの力でゴールを目指す ラリーの原動力もサファリ独特だった
今年のサファリ・ラリー(世界ラリー選手権第6戦6月24〜27日)で好成績を上げたタカ(勝田貴元選手)は、やる気と自信に満ちてエストニアラリーをスタートしたけど残念な結末になってしまったね。(序盤2日目SS4を終え総合3番手にあったが、ジャンプ後の衝撃を首に受けたコ・ドライバーの健康を気遣いリタイヤの決断:編集部注)
さて話はアフリカに戻って、昔のサファリラリーの特徴だったTC(タイムコントロール)制時代の話をしよう。昔のサファリを懐かしむ人が多いのは、このTC制だから起きたさまざまなことが面白かったせいもある。
ノー・ヘルメットはインド文化伝承の賜物だったのかも
SS(スペシャルステージ)ではないのでヘルメットを被らなくていいのは、コースを閉鎖できずSSにできないのではなく、逆にターバンを被ったインド系の選手が多いからヘルメットを被らなくていいTC制にしているのだ、とインド系アフリカ人が言ってたが、真偽のほどは定かではない。
でも確かにかつて3回勝ったレジェンド、ジョギンダ・シンさんなんかターバンでドライブしてたな~。
マラソンペースランナーの逆バージョン「部品調達チェイスカー」も
そしてサービスは自由自在、どこでもできた。アベレージの高い競技区間だって、壊れればサービス隊が駆けつけられるし、チェイスカーというラリーカーとほぼ同じ仕様のマシンが少し後ろを走っていて、(公道扱いなので誰でもコースの中に入り込める)マシンが壊れれば、チェイスカーの部品を外して交換するという荒業を使い、ラリーカーを生き返らせる。
マシンがトラブりそうな荒れたセクションにはあらかじめサービスカーを配置しておくなど、人員に余裕があるワークスチームは物量作戦で挑んでいた。
ヘリコプターですぐにやってくるサービスも
究極はエアサービスだ。
ラリーカーの上をヘリコプターが飛んでいて、マシンが壊れたらヘリが降りてきて修理してくれる。これこそ最高級おもてなし的サービスだ。
そしてこれに加えて、数時間ごとにヘリコプターにも給油する必要があるので、ヘリが降りられる道端のポイントも探し、そこにドラム缶を運ぶ予定も組まなければならず、と大変だった。
止まった競技車を再び走らせるメカニックたちの神技
ある時、篠塚選手がドライブするギャランVR-4のエンジンが壊れた。どうもシリンダーヘッドが壊れたらしい、との無線連絡が入った。
運よくもこの日の最終ステージだったので、競技区間の出口に全サービス隊を終結。何人かのメカニックは拠点としていたガレージに馳せ参じ、置いてあるスペアエンジンからシリンダーヘッドを外して持ち帰る動きに移った。
競技ルート上のチェイスカーは建次郎ギャランの助けに向かい全開で走る。チェイスカーはメカニックの腕前もそこそこあり修理対応の出来るラリードライバーが運転し、チーフメカニックが助手席に乗っているのだ。そしてラリーカーに追いつき、バンパーTOバンパーで押して、動かないものを動かす(笑)ということになったのだ。
TC手前ではポーンと押し出し、ユルユルとチェックイン。そこからTCゾーンの数十mは人力で押し、コントロールゾーンを過ぎればまた、チェイスカーの動力で走る(笑)。この頃は比較的、おおらかでこのようなグレーなことでもあまりチーム同士でクレームをつけることはなかった。どこもそれぐらい大雑把でないとやれないのがサファリ、という認識だったのだ。
やっとサービスに着いたギャランはメカニック総出でシリンダーヘッド外し。はずれる頃にはガレージから別のヘッドが届いて組み付けて、「グワン」とエンジンが掛かりラリーは続いてゆくのであった。
ラリーメカニックの作業スピードは神技だ。
執筆/三好秀昌
ラリードライバー、フォトグラファー。1990-1994年まで篠塚建次郎選手をドライバーとする三菱ラリーアートのチームマネージャーとしてサファリ・ラリーに関わってもいる。自らもスバル・インプレッサのドライバーとして1995、1996(WRC)、1999(WRC)年参戦。1995〜96年2年連続サファリ・ラリーでグループN優勝。2007〜08年、アフリカ選手権サファリ・ラリーに三菱ランサーエボリューションのドライバーとして参戦。2008年FIAアフリカ・ラリーチャンピオン獲得。5回のサファリ・ラリーでは完走率100%。親しみあるショットの動物写真家でもある。