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「グロリアスーパー6」「デボネア」「クラウンエイト」! 1964東京オリンピックを駆け抜けた 「聖火リレー伴走車」

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了/トヨタ/三菱/©Tokyo 2020

“技術の粋”57年前と現在と 

 ちなみにトヨタの資料によるとクラウンエイトだけでなくクラウンとコロナも含めて計7台が提供されたようです。クラウンエイトは1964年の4月に発売されたばかりのニューモデルで、国産車として初のV8エンジンを搭載した普通乗用車(3ナンバー)。クラウンエイトクラウンを名乗っていましたが、1962年のモデルチェンジを受け、当時は2代目のRS40系に移行していたクラウンとはまったく異なるVG10の型式を持ち、1967年には初代センチュリーへと発展していきます。

 セドリックは1960年に登場した初代モデルで、1962年のマイナーチェンジで丸形4灯のヘッドライトが縦置きから横置きに変更された後期型です。1963年に登場した2.8L直6のK型エンジンを搭載したスペシャル(型式は50型)。こちらは我が国初の3ナンバー車でした。セドリック・スペシャル

 一方、グロリアは5ナンバーでしたが直4エンジンを搭載したデラックスに加えて、前年に発売されたばかりのスーパー6を10台提供したとされています。このスーパー6は小型車規格(5ナンバー)として初の6気筒、かつ国産量産車として初のOHCエンジンを搭載していました。グロリア・スーパー6 デボネアも5ナンバーながら直6エンジンを搭載、グロリアに次いで5ナンバーとして2番目の搭載例でした。つまり、当時としては国内メーカーの技術の粋を集めたラインアップが、日本全国津々浦々を走り回ったのです。デボネア かつての栄光を背負って聖火リレーの伴走車として走り回っていたクルマたち。ですが、ときの移り変わりに呑み込まれたかのように、セドリック/グロリアとデボネアはすでにモデルが新車のマーケットからは姿を消しています。クラウンのモデルライフも終焉間近と伝えられるなど、時代の流れを感じさせられることの多い今日このごろです。

 技術の研鑽を重ねていくことはもちろん継続していく必要がありますが、当時の熱い心と高い志を、これからも持ち続けてほしい。いちクルマファンとしては自動車メーカー各社に、そう思って期待するばかりです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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