“技術の粋”57年前と現在と
ちなみにトヨタの資料によるとクラウンエイトだけでなくクラウンとコロナも含めて計7台が提供されたようです。クラウンエイトは1964年の4月に発売されたばかりのニューモデルで、国産車として初のV8エンジンを搭載した普通乗用車(3ナンバー)。クラウンを名乗っていましたが、1962年のモデルチェンジを受け、当時は2代目のRS40系に移行していたクラウンとはまったく異なるVG10の型式を持ち、1967年には初代センチュリーへと発展していきます。
セドリックは1960年に登場した初代モデルで、1962年のマイナーチェンジで丸形4灯のヘッドライトが縦置きから横置きに変更された後期型です。1963年に登場した2.8L直6のK型エンジンを搭載したスペシャル(型式は50型)。こちらは我が国初の3ナンバー車でした。
一方、グロリアは5ナンバーでしたが直4エンジンを搭載したデラックスに加えて、前年に発売されたばかりのスーパー6を10台提供したとされています。このスーパー6は小型車規格(5ナンバー)として初の6気筒、かつ国産量産車として初のOHCエンジンを搭載していました。 デボネアも5ナンバーながら直6エンジンを搭載、グロリアに次いで5ナンバーとして2番目の搭載例でした。つまり、当時としては国内メーカーの技術の粋を集めたラインアップが、日本全国津々浦々を走り回ったのです。 かつての栄光を背負って聖火リレーの伴走車として走り回っていたクルマたち。ですが、ときの移り変わりに呑み込まれたかのように、セドリック/グロリアとデボネアはすでにモデルが新車のマーケットからは姿を消しています。クラウンのモデルライフも終焉間近と伝えられるなど、時代の流れを感じさせられることの多い今日このごろです。
技術の研鑽を重ねていくことはもちろん継続していく必要がありますが、当時の熱い心と高い志を、これからも持ち続けてほしい。いちクルマファンとしては自動車メーカー各社に、そう思って期待するばかりです。