レビン/トレノはTE27型から歴史が始まった
1983年に登場したAE86。モデルとしてはカローラシリーズとしての「レビン」と、スプリンターシリーズ「トレノ」の2タイプがラインアップされていた。多くの人にとってAE86が「レビン」「トレノ」の出発点と思っているかもしれないが、実際はそうではない。
高級路線から原点回帰を図ったのがAE86
初めて「レビン/トレノ」を名乗ったのは1973年、当時2代目となるカローラ/スプリンターをベースにTE27型としてオーバーフェンダーを装着した「レビン/トレノ」が送り出されたのが始まりだ。その使命はサーキットレースや国際ラリーで活躍することで、実際にTE27型「レビン/トレノ」は国内外で大活躍したのだ。
その事実を眼の当たりにしたわれわれ昭和世代には、その後を継いだTE71型が大きく、高級路線に転じてしまったため、興ざめしていたのだ。そのネガティブな印象を払拭すべく投入されたのがAE86型。FRレイアウトのスポーツカーである事以上に、1.6L4バルブDOHCの4A-GEU型エンジンのポテンシャルの高さが注目されていた。
トヨタはFRスポーツを発売するにあたり、オーバーステアによる事故を懸念しアンダーステアのセッティングを施していたのだ。柔らかいサスペンション設定はコーナーで後輪内輪を浮き上がらせ、LSD(リミテッドスリップデフ)を持たない内輪はむなしく空転するばかりだった。
しかし、そこはFR。サスペンションを少し固め、LSDさえ装備させれば、ドリフトマシンに変身させることができた。
あのグループAでも大活躍していた
じつはあまり知られていないのだが、1985年に開催された全日本グループA選手権第4戦・鈴鹿300キロレースに、まだ編集部員でありながら、AE86レビンのグループAマシンで選手権を競っているトップコンテンダーであった、トーヨータイヤのトランピオチームからスポット参戦させてもらったことがある。
組ませていただいたのは選手権首位を争う星野薫選手と、高木虎之介選手の実父である高木政巳選手。まだ実績のない若手だった僕に、千載一遇のチャンスを与えてくれたのだ。エンジンは名チューナーとして名高い鳥居チューンの手による。初めて走らせた鈴鹿では、あらゆるコーナーで横を向く超オーバーステア特性で、市販車との特性の違いに驚かされた。
しかも決勝はいきなりの雨。ウエット走行未経験の僕にチームはレースの大半を任せてくれ、鈴鹿の1コーナーから逆バンク、ダンロップコーナー、スプーンコーナーなどでパワースライドをコントロールしながら必死に走った。その結果はなんと総合2位! この好成績も効を奏し、1カ月後には三菱ワークスから声がかかり、三菱スタリオン・ターボでインターテックにデビューすることになったのだ。
AE86は登場当時、新車価格で130万円ほど。雪道でのパワースライド走行が楽し過ぎて、なんとしても購入したかったが、編集部員の給料では手が届かず断念したのが思い出だ。人々はなぜ今でもAE86に惹かれるのか。その答えは明白だ。若い当時の僕が感じていたパワースライド走行、ドリフト走行を楽しみたいという純粋な気持ちを、現代も多くの人が持ち続けているからにほかならない。