ニッサンの大成功スポーツモデル「240Z」が艶やかなモデルで登場
お手軽にプラモデルが作れるシリーズとして、アオシマが展開しているTHE SNAP KIT(ザ・スナップ キット)。手のひらに収まるほどの1/32スケールで、作るのも簡単、部品をはめ込むだけで組み上がる優れものだ。さらにボディカラーはすでにツヤツヤに着色されているというもの。塗装にこだわりたいがテクニックはまだまだで、どうにもうまく塗装ができないと悩んでいるプラモデル初心者には、願ったり叶ったりの手間いらずなのだ。
そのスナップ キットシリーズに、いよいよ初代フェアレディ240Zが追加される。すでに日産スカイライン2000GT-R、日産スカイラインGT-R(R34)、トヨタGRスープラ、トヨタ86、スズキ・ジムニー、スズキ・ハスラーなどクルマ好きの心をくすぐる車種はいろいろある。しかし、あれ? まだ無かったのと言うほどの人気車種が「Z」だろう。
「勝っては売れ、勝っては売れ」の名車Zに思いを馳せ
ロングノーズ、ショートデッキというスポーティ車の存在感を揺るぎないものとしたのは、1969年登場の初代フェアレディZが、その後10年間で世界にておよそ55万台もの販売実績を記録したことにある。世界一美しいクルマと今でも評価されているイギリスのジャガーEタイプを、当時いち早く評価し同じ土俵でそれに打ち勝つほどのスポーツカーを作り出してアメリカ市場に投入していこうという、アメリカのディーラーを経巡っていた日産自動車・片山豊氏の目論見が、まさに的中していったという歴史でもある。 スポーツカーが証明しなければならないクルマの高性能は、アメリカではレース界で注目を浴びるSCCA(スポーツカークラブオブアメリカ)シリーズで見せつけていった。ブロック・レーシング・エンタープライズ(BRE)とタッグを組み、240Zはその実力を遺憾無く発揮する。「日曜に勝ち、月曜に売る」という片山氏の名言が語り継がれているほど。アメリカではダッツン(ダットサンDATSUN)と呼ばれていた240Zはまさに「脱兎」のごとく、1970、1971年とチャンピオンをくすね取ってゆくのだ。
ヨーロッパでは公道舞台の伝統ラリー、モンテカルロ、RACラリーなどで、万人のギャラリーたちを介してその高性能を染み渡らせていった。 アルピーヌルノーA110、ポルシェ914らと渡り合いデビュー早々に上位の成績を収める。1972年にはモンテでラウノ・アルトーネンが3位、前年の1971年アフリカサファリ・ラリーでエドガー・ハーマンが優勝。世界戦となった1973年のサファリではプジョー504、ポルシェ911、フォード・エスコート、サーブ99らを打ち負かしてシェッカー・メッタの240Zが優勝を遂げ、世界ラリー選手権で日本車初の優勝車となる功績を成し遂げたのだった。