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「コンパーノ」「コンテッサ」「ブルーバード」! 海外デザイナーが手がけた「ノスタルジック名車」5選

海外デザイナーが手掛けた個性的なクルマをプレイバック

 クルマ好きなら誰にでも“子ども心にカッコいいと思ったクルマ”があるのでは? あるいはその当時は車名もメーカー名も知らないような、でも姿カタチに惹かれた、ササった……そんな存在のクルマ。“クルマ版原体験”とでも言えばよいか。幼いころの自分の体験や、過ごした街の風景のなかにあったそうしたクルマは、ずっと忘れじの存在だったりするものだ。

 筆者の場合’60年代はちょうど物心がつき、いろいろなことに関心を寄せ始めた時期と重なる。さらに絵を描くことも好きだったから、そのころに街で見かけたクルマの絵を、親が用意してくれたカレンダーの裏などにかなり正確にササッと描いては、大人たちを喜ばせたりしていたらしい(今ならタブレット+ペンがあればOKだから、親に紙を用意させる苦労をかけなくて済んだだろう)。

国産車にもあったイタリアン・デザインを纏ったクルマ

 そんな自分の記憶に照らしながら思い返してみてもそうだが、1960〜70年代にかけての日本車は皆、今よりもずっと個性的なスタイル、プレゼンスを発揮していて、見る者の目を楽しませてくれていたような気がする。日本のモータリゼーションの黎明期でもあり、渾身の作といえるクルマが次々と登場してきた時期でもあった

 そうしたなかで、ひと味違う趣を漂わせていたのがイタリアン・デザインを纏った日本車だった。のちに日本ではスーパーカーブームが起こり、フェラーリ、ランボルギーニなどのモデルが有名になったのに伴い、さまざまなイタリアのカロッツェリアも広く知られるようになる。ところが’60年代といえば一般に乗用車が普及し始めたころで、そのころのスーパーカーなどまだ雲の上の存在。けれどより身近な国産車のなかにも、じつは密かに(!?)カロッツェリア作のクルマが存在した

ダイハツ・コンパーノ(1963年)

 とりわけ真っ先に挙げたいのが、ダイハツ・コンパーノと日野コンテッサの2台だ。ダイハツ・コンパーノ(1963年)はアルフレッド・ヴィニヤーレ作だが、何と最初に世に出たのはライトバン(とワゴン)から。それを追って、イタリア流に“ベルリーナ”と呼ぶセダン(2ドアと4ドア)を発売、さらに粋な4座のスパイダーまで発売された。

 ライトバンから登場したのも驚きだが、ベルリーナ、スパイダーのデザインはダイハツ社内の仕事だったというから、そのセンスのよさにも脱帽だ。ヴィニヤーレはランチア、ジャンセンといったブランドのクルマも手がけたデザイナーだったが、コンパーノにスッと背筋を伸ばしたような気品が感じられたのも、そうした高級車の世界観に通じるセンスが息づいていたからだろう。

日野コンテッサ(1964年)

 期せずしてコンパーノと同時期に登場した日野コンテッサ(セダン1964年、クーペ1965年)も忘れられない。こちらはジョヴァンニ・ミケロッティの手になるクルマで、当時、イタリア、ベルギーで開催された国際自動車エレガンス・コンクールで計4度の大賞受賞も果たしている。

 コンテッサとしては2世代目で、日野ルノー4CVの後継車種だった初代コンテッサのリヤ縦置きエンジンの車両レイアウトは踏襲しつつ、グッと近代的な……というより、まさにエレガントなスタイルが目を惹くも、日野とトヨタの合併により1967年には生産終了となった、日野の最後の乗用車だった

ダットサン・ブルーバード(1963年)

 ほかに、カロッツェリアといえばピニンファリーナが有名どころだが、プジョーやフェラーリだけでなく、日本のブランドの仕事も(見えていたり、そうでなかったりするが)手がけている。2代目のダットサン・ブルーバード(410型・1963年)や2代目の日産セドリック(1965年)はおなじみだろう。

 ブルーバードは、のちに語り継がれてしまったのは“尻下がりのスタイルが不評だった”ということだが、“柿の種”と呼ばれた初代(310型)に対しグッと近代的な進化を果たした(“ユニットコンストラクションボディ”と呼ばれた新しいモノコックボディなどエンジニアリングも意欲的だった)ヨーロッパ調のスタイルは、当時としては粋な存在だった。ポルシェタイプのサーボシンクロトランスミッションを採用、ラリーも走ったSSSなども用意。バン(エステートワゴン)も設定された。

日産セドリック(1965年)

 セドリックは1965年登場の2代目がピニンファリーナだった。初代(タテ目とヨコ目があった)のいかついスタイルから一転、いかにも当時のピニンファリーナらしい、これもまたエレガントなスタイルで、下ですぼまるCピラーなどが特徴。

 だが、やはり410型ブルーバード同様の尻下がりのシルエットが一般的には受け入れられず、最終型では(まるでデザイナーが開き直ったかのような)グリルもウエストラインも水平基調のやや個性を殺したものへと姿が変わっていった。テールランプなど4度もデザインが変更されている。

マツダ・ルーチェ(1966年)

 それともう1台、マツダ・ルーチェ(初代・1966年)も忘れられない。このクルマのことはご存知の方も多いと思うが、スタイリストはベルトーネ在籍時代のG・ジウジアーロだった。追って登場したいすゞ117クーペと較べれば、あたかもその4ドアセダン版のようなスタイルで一目瞭然だった。当時のマツダがファミリアより上級の乗用車として発売したモデルである。

 ベルトラインが低くグラスエリアの広いシンプルでクリーンな姿は今でも望むべくもないが、こういうクルマを生んだ当時のエンジニア、デザイナーはさぞしなやかな感性をしていたのだろう……と思わずにいられない。

 親に連れられて杉並の銭湯へ行く途中の病院の前にいつも停められていた、クリームイエローのブルーバード・エステートワゴン、駅前のタクシー乗り場で列の順番を人に変わってもらってまで乗ったセドリック(横長のテールランプが好みだった)。そして小学校のときのガールフレンドの家にあった白いコンテッサのセダンや、担任の先生が乗っていたシルバーのルーチェSS、別の学年の先生が乗っていた2ドアのコンパーノ・ベルリーナ……。

 筆者自身、どのクルマも自分のごく個人的な思い出とリンクしているが、懐かしくも、カロッツェリアのセンスがゆっくりと味わえるいい時代のクルマ達だった気がする。

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