マキシマム・スピードを標榜しスーパーカーブームの盛り上がりに拍車をかけた
クルマのいう乗り物は、その誕生以来、人やモノの移動をいかに効率よく行えるようにするかという研究開発のなかでスピードという要素も追求され、走行性能が著しく向上していった。そのような状況下において、人々が単なる移動・運搬手段としてではなく、ハイスピードで痛快に走ることや流麗なプロポーションを純粋に追い求め始めたことにより、自動車の世界にスーパーカーという新たなるカテゴリーが誕生することになった。
スーパーカーという概念が生まれたのは1960年代後半のこと
スーパーカーという概念が世界で初めて生まれたのは、1960年代後半のことだ。それ以前の高級高性能GTカーは、昔ながらのスポーツカーに大排気量エンジンを強引に搭載したものや、レーシングカーをそのままロードカーにしたような、さほど洗練されていないクルマたちがメインストリームだった。 しかし、フェラーリ・ディーノやランボルギーニ・ミウラなどに代表される1960年代後半に登場したスーパーカーは、それまでの市販車の概念を一変させる芸術性が高い流麗なスタイルやレーシングカーにも匹敵するハンドリングのよさ、そして、豪華かつスポーティなインテリアを誇っていた。 そう、まさに全方位的にスーパーなクルマだったのだ。また、同時期にミウラとライバル関係にあったフェラーリ・デイトナやマセラティ・ギブリもトラディショナルなFR車ながら、そのスタイルや性能はスーパーカーの条件を十分満たしていた。
最高速戦争で盛り上がりを見せたブーム時代
1970年代になるとスーパーカー界は群雄割拠の戦国時代に突入し、第一の黄金期を迎えた。その原動力となったのが、漫画「サーキットの狼」とフェラーリBB対ランボルギーニ・カウンタックによる最高速戦争である。 また、ミッドシップ車の分野に参入してきたマセラティ・ボーラやフォードとのパートナーシップで量産されたデ・トマソ・パンテーラなども280~290km/h級のマキシマム・スピードを標榜し、スーパーカーブームの盛り上がりに拍車をかけた。
ライバルに負けない存在感をアピールしていたポルシェ
そして、事態を静観しているかのようにみえたポルシェもスポーツカーのスーパーカー化に際し、不朽の名作である911シリーズの高性能版であるカレラRSに派手なグラフィックを施して登場。ディーノなどのライバルに負けない存在感をアドバンテージポイントとして参戦してきた。 また、幾多のレースで培ったターボチャージャー技術を導入した930ターボでは、イタリアン・スーパーカーたちに優るとも劣らない動力性能の高さがアピール・ポイントとなった。 疾風迅雷、驚天動地であることを徹底的に追求した成果として生み出されたスーパーカーという存在には、メーカーの確固たる信念やユーザーの夢、憧れ、希望といったさまざまな想いが込められていた。
オモシロイことにスーパーカーブーム全盛時には、これといった定義づけが曖昧だった。それによって、マルチシリンダーエンジンを搭載するウェッジシェイプのミッドシップ車以外にもスーパーカーとして括られたクルマが複数あり、BMW 2002ターボなども熱心なファンを獲得した。 そのように、多種多様なクルマがスーパーカーブーム全盛時に少年たちを熱くさせたが、往時に巻き起こった一大ムーブメントで中心的な役割を果たしたのは小学生だった。商魂たくましい大人たちのアシストもあり、彼らの周囲にある“ありとあらゆるモノ”がスーパーカーグッズと化した。これにより、インターネットなどが存在しなかった時代に、画一化されたスーパーカーの魅力や本質が全国津々浦々に浸透していった。