マキシマム・スピードを標榜しスーパーカーブームの盛り上がりに拍車をかけた
クルマのいう乗り物は、その誕生以来、人やモノの移動をいかに効率よく行えるようにするかという研究開発のなかでスピードという要素も追求され、走行性能が著しく向上していった。そのような状況下において、人々が単なる移動・運搬手段としてではなく、ハイスピードで痛快に走ることや流麗なプロポーションを純粋に追い求め始めたことにより、自動車の世界にスーパーカーという新たなるカテゴリーが誕生することになった。
スーパーカーという概念が生まれたのは1960年代後半のこと
スーパーカーという概念が世界で初めて生まれたのは、1960年代後半のことだ。それ以前の高級高性能GTカーは、昔ながらのスポーツカーに大排気量エンジンを強引に搭載したものや、レーシングカーをそのままロードカーにしたような、さほど洗練されていないクルマたちがメインストリームだった。
最高速戦争で盛り上がりを見せたブーム時代
1970年代になるとスーパーカー界は群雄割拠の戦国時代に突入し、第一の黄金期を迎えた。その原動力となったのが、漫画「サーキットの狼」とフェラーリBB対ランボルギーニ・カウンタックによる最高速戦争である。
ライバルに負けない存在感をアピールしていたポルシェ
そして、事態を静観しているかのようにみえたポルシェもスポーツカーのスーパーカー化に際し、不朽の名作である911シリーズの高性能版であるカレラRSに派手なグラフィックを施して登場。ディーノなどのライバルに負けない存在感をアドバンテージポイントとして参戦してきた。
オモシロイことにスーパーカーブーム全盛時には、これといった定義づけが曖昧だった。それによって、マルチシリンダーエンジンを搭載するウェッジシェイプのミッドシップ車以外にもスーパーカーとして括られたクルマが複数あり、BMW 2002ターボなども熱心なファンを獲得した。
スペックを九九を覚えるかのごとく丸暗記した
ちなみに、スーパーカーグッズと化したモノについて具体的に説明していこう。子どもたちが学校に持っていく文房具(筆箱、下敷き、消しゴム、鉛筆など)はもちろん、衣類、ベルト、バッグ、腕時計、お茶碗、マグカップ、レコード、ゴミ箱、トランプ、コインケース、塗り絵といった日用品や生活雑貨までもが、フェラーリ、ランボルギーニ、マセラティ、ランチア、デ・トマソ、ロータス、ポルシェ、BMWなどの写真、イラスト、エンブレムですっかり彩られた。
スーパーカーグッズが大量に登場した恩恵で、実車を所有していなくても楽しめた点がスーパーカーブームの“いいところ”。身近なところでは、かつて20円で販売されていたスーパーカー消しゴムがあった。
そして、スーパーカーカードもカー消しと同じように入手・収集しやすいアイテムの代表格。裏側に書いてあった最高出力や最高速度といったスペックを、九九を覚えるかのごとく丸暗記するのが通例だった。
最高速度が下がると誰もが一瞬にして夢から覚めた
1970年代後半はオイルショックや排気ガスによる大気汚染が問題となり、スーパーカーを始めとする高性能車を取り巻く状況が一段と厳しくなった。スーパーカーブームの全盛期は、1976~1977年までの2年間であったと言われている。カウンタックとの間で頂上対決をしていたフェラーリBBが現実路線を歩み始めたのと同じタイミングで、空前のスーパーカーブームが終焉を迎えようとしていた。
512BB時代のトリプルチョーク・ウェーバーではなく、ボッシュのKジェトロニック燃料噴射を装備し、最高速度が302km/hから約280km/hへと下方修正された512BBiが1981年に登場したのだ。スーパーカーのスペックに一喜一憂していた子どもたちにとって、この現実的な下方修正はまさに寝耳に水といった感じで、誰もが一瞬にして夢から覚めてしまった。
ファミリーで買い物に行くような、ごく普通の百貨店の駐車場でスーパーカーの展示イベントが開催されるほどの熱狂ぶりとなったブームは終焉を迎えてしまった。一部のスーパーカーメーカーは時代の変化に素早く対応し、1980年代、1990年代、2000年代を生き延び、現在も魅力的なモデルを造り続けている。スーパーカーとその関連アイテムが放つ芳醇な世界は、今後も数多くのクルマ好きを魅了していく。