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ボツ案がフェラーリディーノに発展? ランボルギーニ・ウラッコの「プロトタイプ」秘話

ポルシェ911の市場を狙うために登場

 フェラーリとともに1970年代のスーパーカー・ブームをけん引したのが、同じイタリアのランボルギーニでした。

 創業者のフェルッチオ・ランボルギーニは、フェラーリとその創業者であるエンツォ・フェラーリを徹底的にライバル視して……という幾つもの伝説が実しやかに語り継がれています。その真偽はともかく、後発メーカーだったランボルギーニは、当然のように先行していたフェラーリを仮想敵としてラインアップを充実させていきました。

 現在ではSUVのウルスが加わり3つのグループに大別されますが、それまではV12をミッドシップに搭載する“ビッグ・ランボ”とV8やV10をミッドシップに搭載する“ベビー・ランボ”の2本柱でした。今回は“ベビー・ランボ”のトップバッター、ウラッコのプロトタイプ事情を振り返ってみました。

ランボルギーニ初のV12エンジンは350GT

 ランボルギーニが初めて自らの名を冠したクルマを製作したのは1964年のこと。フロントに3.5LのV12エンジンを搭載し後輪を駆動する、コンサバティブなパッケージングのグランツーリスモで350GTのネーミングを与えられていました。

 350GTは400GTに発展したのちにモデルチェンジでイスレロ、ハラマと変遷を重ね、エスパーダという別の流れも登場しました。本流は1966年に登場したV12をミッドシップに搭載した“ビッグ・ランボ”へと移っていきました。  そして1970年代に入るとミウラの後継モデルとして、ベルトーネのマルチェロ・ガンディー二が手掛けたカウンタックが登場、スーパーカー・ブームの旗頭の1台となっていきます。

初のV8エンジンはウラッコだった

“ベビー・ランボ”のトップバッターとなるウラッコは、カウンタックのデビューよりも少し時間を遡った1970年に登場しています。ランボルギーニ初のモノコックボディ、前後サスペンションもランボルギーニ初のストラット式。そして搭載される2.5Lのシングルカム・エンジンもランボルギーニ初のV8、とまさに初物尽くしのウラッコでしたが、そのコンセプトは明快でした。 より幅広いユーザー層をターゲットにすべく、ミッドシップながら2シーターではなく2+2とすることで、ポルシェ911の市場をも狙おうというもの。ウラッコが登場した3年後、ミッドシップ2シーターのディーノ246GTをラインアップしていたフェラーリも、ミッドシップ2+2シーターのディーノ308GT4(のちにフェラーリを名乗るようになります)を投入することになりました。 さて、そんなウラッコのデザインを担当したのはカウンタックと同じくベルトーネにいたガンディー二でした(ちなみにディーノ308GT4も彼のデザインです!)が、新たな主力シリーズということもあってか、フェルッチオの力の入れ様には並々ならぬものがあったようです。その熱意にほだされたのでしょうか、ガンディー二も幾つかのモデルをプレゼンすることに。 その結果、3番目にプレゼンされたモデルをベースに市販モデルが誕生することになりました。

貴重なプロトタイプはフェルッチオのプライベートコレクションに収蔵

 今回紹介するのは2番目にプレゼンされたモデル。ランボルギーニの本社に併設された企業博物館のランボルギーニ博物館(Lamborghini Museum)ではなく、創設者であるフェルッチオのプライベートコレクションを収蔵展示するフェルッチオ・ランボルギーニ博物館(FerruccioLamborghini Museum)で出会った1台(台車に乗ったモックアップ)で、ヘッドライトの処理が特徴的です。 ただし、この特徴的なヘッドライト・システムは、市販化にあたってはいくつか問題点もあったようで、コンベンショナルなリトラクタブル式ヘッドライトが採用されることになりました。そう、“ベビー・ランボ”は身近で現実的なスーパーカーを目指していたので、コンベンショナル……コンサバティブ(保守的)ではなくコンベンショナル(普通の)というのが相応しいでしょう……なリトラクタブル式で充分でした。 実際に話を聞いた訳じゃないので、あくまでも想像するしかないのですが、フェルッチオさんもきっと、こう思ったに違いありません。ちなみに、これは後日譚になりますが、この2番目のプレゼンモデルは、コンベンショナルなリトラクタブル式ヘッドライトにコンバートされ、フェラーリのディーノ308GT4へと繋がったそうです。 そういえば、サイドビュー、とくにCピラーの処理などに共通のデザインテイストが感じられますが、そうであるならベルトーネの商売上手さには感服です。もちろん、デザインが基本的に“カッコいい”からできる話なんですが……。 一方、市販モデルとなったウラッコは、Cピラーに設けられたエア・インテークの処理が特徴的(=独特)で、少なくとも見ているだけだとディーノ308GT4との共通性などまったく感じることができません。やはりガンディー二のデザインスキル、そしてそもそもデザインの力は凄いというほかありません。

ウラッコ P300も博物館で保管されていた!

 フェルッチオ・ランボルギーニ博物館ではもう1台、興味深いプロトタイプと出会いました。それが1975年式のウラッコ P300 Prototypeでした。これはウラッコP300の後期モデルで、北米仕様だった1台がベースになっています。 このプロトタイプが製作されたのは、走行テストを繰り返してデータを採るのが目的だったとされています。ウラッコの初期モデルのP200では前後ともに同サイズ(205VR14)のタイヤを装着していましたが、後期モデルのP300では前後で異なるサイズ(195/70VR14と205/70VR14)のタイヤを装着するようになりました。 このプロトタイプではさらに、前後にサイズ差の大きなタイヤを装着し、サスペンションのセットアップやロードホールディングを確認していったそうです。そのデータは、1976年に発表されたシルエットに活かされています。 前後に195/50VR15、285/40VR15とリヤタイヤをフロントタイヤの約1.5倍も幅広にした組み合わせを採用していましたが、その辺りの研究(実走テスト)を担ったプロトタイプという訳です。

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