姉より先に登場したジュリエッタ
戦前は、GPレースやスポーツカーレースで活躍する傍ら、とびっきり高性能かつ随分と高価なスポーツカーを少量生産していたアルファロメオ。戦後は一転、レースによってノウハウを培ってきた高性能車、というコンセプトはそのままに、ツーリングカーやスポーツカーを量産し、比較的手ごろな価格で供給することになりました。
そしてそれを具現化した第1弾は1950年に発表された1900シリーズ。その成功によってさらなる“次の一手”となったのが1954年の秋にデビューしたジュリエッタです。 ジュリエッタは、アルファロメオの“ロメオ“と“ジュリエット“に掛けたネーミングでしたが、妹(ジュリエッタは、妹を意味する接尾語をジュリアに付け加えたもの)の方が姉より先に登場したのは皮肉でした。
この姉妹は揃って大ヒット商品となり、アルファロメオの、自動車メーカーとしての基盤を揺るぎないものに変えていきました。今回はこの孝行姉妹の妹ジュリエッタのプロトタイプも含めた歴史を振り返ってみることにしました。
ボディタイプは3車形がラインアップされていた
4ドアセダンのベルリーナ、2ドアクーペのスプリント、そして2ドアオープンシーターのスパイダー。この3車形がラインアップされたジュリエッタですが、トリノ・ショーで最初に登場したのはスプリントでした。
そして半年後にベルリーナとスパイダーが登場することになるのですが、今回プロトタイプを紹介するのはスパイダーの方です。1台は、2015年にリニューアルした、ミラノにあるアルファロメオ歴史博物館(Museo StoricoAlfa Romeo)で出会っています。 ステージの上に展示されていて撮影が限られてしまい、相違点を巧く引き出せていませんが、ほかのジュリエッタ・スパイダー3台はいずれも市販モデル、それもマイナーチェンジ(MC)後の個体です。 黒い個体は2015年にレトロモビルで出逢った1台で、赤と白の個体はそれぞれイタリアのサン・マルティーニ・イン・リオ自動車博物館、高知県の四国自動車博物館で撮影したものです。 よく見ると三角窓の処理などに違いが視られます。ちなみに、MC前は三角窓そのものが装着されていませんでした。 しかしもっと注目すべきモデルはゴールドとホワイトの2トーンに塗り分けられた個体です。これも2015年のレトロ・モビルで出逢った1台です。ヘッドライトを少し後退させて樹脂のカバーを装着するとともに
、ノーズを少しだけ延ばしてスムースなラインにまとめたことで、3台の市販モデルや、アルファロメオ
歴史博物館で出逢ったプロトタイプとはまったく違ったイメージを醸し出しています。 じつはこれ、ベルトーネが手掛けたプロトタイプで、デザインを担当したのは当時ベルトーネに在籍していてスプリントのデザインも担当していたフランコ・スカリオーネです。