サイトアイコン AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

GT-RやフェアレディZに「技術」は継承したが! 究極の4WDスーパースポーツ「MID4」は何故市販しなかったのか

ミッドシップ+4WD/4WSで新時代のスーパースポーツを目指したMID4

 クルマの基本的なコンポーネントのなかでもっとも重量が重くかさばるエンジンを、ホイールベースの間に置くことは物理学的にも理にかなっています。それが証拠にフォーミュラでもスポーツカーでも、純レーシングマシンはエンジンをミッドシップにマウントするのが一般的になっています。 一方、エンジンの駆動力を路面に伝える駆動システムとしては、すべての車輪を使って余すところなくトルクを伝える4輪駆動(4WD)が、とくにレギュレーション的にタイヤサイズの規制が厳しくなるラリーカーにおいては必須となっています。

ミッドシップ+4WSを取り入れたMID4

 そこでロードゴーイングの最高峰とされているスーパースポーツカーでは、ミッドシップ+4WDという基本パッケージを使用するケースが少なくありません。さらに4輪すべてで操舵を担当する4輪操舵(4WS)も併せ持つ、“ウルトラ”なスーパースポーツが企画されたことがありました。それが1985年に発表された日産MID4です。 日産MID4のワールドプレミアは、1985年にフランクフルトで開催された世界最大のモーターショー、国際モーターショー(IAA=Internationale Automobil-Ausstellung 。通称“フランクフルトショー”)が舞台となりました。

WRCのグループSも想定されたパッケージング

 当時は世界中のメーカーが、“夢のクルマ”とされるコンセプトカーやプロトタイプカーを競うように出展していましたが、そのなかでも白眉の存在となりました。

 その理由としては、ミッドシップ・レイアウトや4輪駆動(4WD)/4輪操舵(4WS)など最新技術を盛り込んだことに加えて、自動車大国日本の大企業である日産が出展したこと。そして当時世界中のモータースポーツファンから注目されていた、世界ラリー選手権(WRC)の主役となることが予定されていたグループSへのコンバートも計画中との噂が高まっていたからです。 振り返ってみるとグループSではアウディやランチア、そしてトヨタや三菱など内外メーカーも主戦マシンを開発中で、かつてサファリラリーでその強さを発揮していた日産だけに注目が集まったのも当然でした。

 そもそも日産が、このタイミングでMID4のようなスーパースポーツカーを開発したのは、『901運動』の一環でした。これは「1990年代までに技術の世界一を目指す」クルマ作りを目標とした運動で、すべての車種においてエンジンやシャーシ、サスペンションなどの技術開発に力を注ぎ、ハンドリングを向上させるとともにデザインやクオリティも向上させるというものでした。 結果的にフルタイム四輪駆動(4WD)システムのATTESA(アテーサ=Advanced Total Traction Engineering System for Allの頭文字を連ねた造語で4輪駆動力最適制御の意)や後輪を制御する電子制御四輪操舵(4WS)システムのHICAS(ハイキャス=High CapacityActively Controlled Suspensionの頭文字を連ねた造語で大容量のアクティブ制御サスペンションの意)など、さまざまな技術が確立されています。

 そして、BNR32型スカイラインGT-Rを筆頭に、FPY31型シーマやY31/32型セドリック&グロリア、R32型スカイラインやZ32型フェアレディZ、さらにはU12型ブルーバードやP10型プリメーラ、N13/14型パルサー、K11型マーチなど、数多くの名車、傑作モデルが続々と輩出されていきました。

MID4にはモノコックフレームを採用

 それでは日産MID4のディテールを紹介していきましょう。まずボディ/フレームですが、こうしたショーモデルでは鋼管スペースフレームにパネルを貼ったモノコックフレームとすることが多いのですが、このMID4はモノコックフレームを採用しています。 サスペンションは前後ともにストラットタイプとされていました。こうしたミッドエンジンのスポーツカーでは、とくにフロントサスペンションはエンジンがないことでスペース的な制約はないため、ダブルウィッシュボーンなどジオメトリーを自由に選べるダブルウィッシュボーンを採用するケースが多いです。だが、このMID4ではストラット式が選ばれています。

 ただし、通常ではほぼ直立とされるストラットの頂点を車両中心にセット。またロアアーム長を極力長くするとともに、ステアリング系のレイアウトを工夫することでトー変化とキャンバー変化が、ほぼ理想的となるジオメトリーを得ていました。

 このジオメトリーではとくに、コーナリング中の対地キャンバーをゼロに近づけることで、コーナリングの限界性能を向上させていました。フロントと同様にリヤサスペンションもストラット式とされていますが、こちらはロアアームにワイドベースのダイアゴナルAアームを採用してHICASと組み合わせていました。

 後輪駆動のミッドシップでは後輪の荷重が大きいことからコーナリングパワーを確保するためにタイヤ幅を拡大することが多いのですが、4WDでは一般的に、タイヤスリップを防ぐために前後のタイヤを同サイズとするのが基本となっています。こうなるとコーナリングパワーを引き上げることが難しくなりますが、MID4ではHICAS(4WS)と組み合わせることで、前後同サイズのタイヤを使用しながら充分なコーナリングパワーを確保していました。

エンジンは新開発された3LV6ツインカムユニット

 エンジンは新開発された3L V6ツインカムのVG30DE型。シングルカムのVG30E型は、1965年の登場から20年近くが経ち旧態化してしまったL系ユニットの後継として1983年に、Y30系のセドリック/グロリアに搭載され世に出ていました。ですが、ツインカムヘッドが組み込まれたユニットはMID4に搭載され、フランクフルトでお披露目されることになったのです。 ツインカムヘッドに乗せ換えただけでなく、NICS(ニックス=NissanInduction Control Systemの頭文字を連ねた造語で可変吸気システムの意)やNDIS(Nissan direct ignitionsystemの頭文字を連ねた造語で直接点火システムの意)、さらにドライブバイワイヤシステム、気筒別燃焼制御システム、可変バルブタイミングシステムなど幾つもの電子制御システムが盛り込まれています。パフォーマンス的には最高出力が230ps/6000rpm、最大トルクが28.5kg-m/4000rpmと発表されていました。

 ちなみにVG30DEユニットは翌86年の2月にレパードに搭載されてデビューしています。これはレギュラーガソリン仕様で最高出力も185psに過ぎませんでしたが、MID4に搭載された仕様では、1989年に登場するフェアレディZ(4代目のZ32)に搭載されたプレミアムガソリン仕様とほぼ同スペックでした。

意外にコンパクトなボディサイズ

 その新型エンジンはミッドシップに横置きでマウントされていました。ハンドリング性能を高めるためには、長すぎるホイールベースは厳禁とされていますが、このMID4でもエンジンを横置きマウントしたことで、少しホイールベースを切り詰めることになりました。 3サイズは4150mm×1770mm×1200mmでホイールベースは2435mm。ミッドシップと2シーターとふたつの共通項を持ったフェラーリ308GTBの3サイズとホイールベースが、それぞれ4230mm×1720mm×1120mm、2340mmでしたから、ホイールベースが長いほかは、意外にコンパクトにまとまっていました。

 エンジンをミッドシップマウントしたこと以上に、技術的に大きな特徴となっていたのは4WDと4WSのシステムを組み込んだシャシーのパッケージでした。現在でこそ4WDや4WSが、高速走行時のスタビリティを高くキープすることは広く知られたころとなっています。ですが、当時はまだまだ「4WDは悪路(=低μ路)での走破性を高めるもので、4WSは小回りが利いて狭い道路で有効」といった認識が一般的でした。 しかし日産ではMID4によって4WDや4WSの開発を続け、それぞれアテーサE-TS、スーパーHICASのネーミングで商品化は進み、単独のシステムが組み込まれるケースも少なくありませんでした。1989年に登場したスカイラインGT-R(第2世代最初のR32)では両者を組み合わせたシステムが装着され、当初想定していたようにグループAによるツーリングカーレースでライバルを圧倒。シャーシの高いパフォーマンスを証明することになりました。

スーパースポーツに相応しい軽やかなデザイン

 MID4のデザインについても触れておきましょう。ボディは2ドアの2座クーペで、低められたノーズにはリトラクタブルライトが埋め込まれています。サイドビューではキャビン後部のBCピラーが一体化されているように見え、通常のクーペボディのようにも映りますが、じつはリヤデッキはフラットで、左右をパネルで、前方を直立するリヤウインドウ囲まれています。 後方左右の視界が遮られているのが気になるところではありますが、スーパースポーツに相応しい、軽やかなデザインだと、当時から好意的な声が多く聞こえていました。

II型でエクステリアデザインもガラッと一新

 日産MID4は、1985年のフランクフルトショーでお披露目されたのち、同年の東京モーターショーで“里帰り”デビューを果たしています。さらに2年後の1987年に行われた東京モーターショーでは、改良モデルとなるMID4IIが登場しました。 MID4からMID4IIへの変化は、まさにフルモデルチェンジと言っていいほどの大幅な変化で、搭載されたエンジンからシャーシ、さらにエクステリアデザインもガラッと一新されています。

 まずはそのエクステリアデザインから紹介していきましょう。サイズ的には3サイズとホイールベースが、それぞれ4300mm×1860mm×1120mm、2540mmとなっていて、全高のみは不変でしたが、150mm長く90mm広く、ホイールベースも105mm延長されています。ひとまわり以上も大きくなった割には車両重量は1400kgと170kgの増加にとどめていました。 これはフロントフードやフェンダー、エンジンフード&トランクリッドなどにアルミパネルを採用したことが大きかったようです。このサイズ拡大を受けて、ルックスは幾分冗長的に映るのは否定できませんが、それでも低く(全高が同じだから見えるだけ!)ワイドなシルエットは、エアロを追求した成果で、空気抵抗係数は世界トップレベルのCd=0.30を達成していました。 ルックスでもっとも大きく変わったのはボディ後半部分で、サイドウインドウの後半部分が大きく拡げられクオーターパネルが一般的な形状のCピラーに置き換えられたことです。横長のテールランプが、テールの高い位置に取り付けられたことで幅広い全幅をアピールしていました。 またサイドビューではドア直後のエアインテークがより迫力を増していて、さらにエキゾーストも左右2本出しで、大きな存在感を見せていたのも見逃せない特徴のひとつでした。

エンジンは縦置きに変更

 その迫力を増したルックスを身に纏ったシャーシでも大きな変化が見られました。MID4では3L V6のツインカム24バルブのVG30DEエンジンを横向きに搭載していたのですが、新しいMID4Ⅱでは縦置きに変更され、より正確に言うなら縦置きで前後を逆転させていました。 つまりボディから見てエンジンが最後部に置かれ、その前方にミッション、さらにその前方に(センター)デフが置かれ、そこから前方に伸びるトルクチューブ式のプロペラシャフトで前輪を駆動し、(センター)デフからギヤで取り出されたトルクは、ボディ後方に伸びるドライブシャフトで後輪を駆動する駆動レイアウトとなっていたのです。

 またMID4IIでは前後のデフに、新たにビスカスカップリングを使ったデフが追加されていました。この進化したシャーシに取り付けられる前後のサスペンションもMID4の4輪ストラットから、フロントが、より低められたノーズと干渉しないよう、アッパーアームの位置が引き下げられたダブルウイッシュボーン式に。リヤにはダブルウイッシュボーンをさらに進化させたマルチリンクを開発、MID4と同様にHICASと組み合わされていました。

最終的にはツインターボが組み込まれたVG30DETTを搭載

 最後になりましたがエンジンについても紹介しておきましょう。MID4でお披露目された3L V6ツインカム24バルブのVG30DEは、翌年2月のF31系レパードを皮切りに、次々と市販モデルに展開されていきました。今度のMID4IIはVG30DEから、ツイン・インタークーラー付きのツインターボが組み込まれたVG30DETTに発展していました。 市販モデルではなかったことからか最高出力は、業界自主規制である280psを大きく凌駕して330ps/6800rpmを発生。最大トルクは39.6kg-m(338N・m)/3600rpmを捻り出していました。

 MID4に比べて一段と完成度が高く、その市販化が期待されたMID4IIでしたが、とうとう日の目を見ることもなく今に至っています。 MID4ともども、日産では研究実験車の扱いだったために、究極の4WDスポーツと評価されるスカイラインGT-Rが誕生したことで、その存在義務は果たしたということかもしれません。多くのファンも同じ想いを持っていると思いますが、MID4やMID4IIの発展形が路上を行き交い、街なかに佇み、そしてサーキットを駆け回る姿を見て見たかい、という偽らざる想いが、今も心のなかに過っています。

モバイルバージョンを終了