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GT-RやフェアレディZに「技術」は継承したが! 究極の4WDスーパースポーツ「MID4」は何故市販しなかったのか

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/日産

最終的にはツインターボが組み込まれたVG30DETTを搭載

 最後になりましたがエンジンについても紹介しておきましょう。MID4でお披露目された3L V6ツインカム24バルブのVG30DEは、翌年2月のF31系レパードを皮切りに、次々と市販モデルに展開されていきました。今度のMID4IIはVG30DEから、ツイン・インタークーラー付きのツインターボが組み込まれたVG30DETTに発展していました。1987年に登場した日産MID4 II型のエンジン 市販モデルではなかったことからか最高出力は、業界自主規制である280psを大きく凌駕して330ps/6800rpmを発生。最大トルクは39.6kg-m(338N・m)/3600rpmを捻り出していました。

 MID4に比べて一段と完成度が高く、その市販化が期待されたMID4IIでしたが、とうとう日の目を見ることもなく今に至っています。1987年に登場した日産MID4 II型 MID4ともども、日産では研究実験車の扱いだったために、究極の4WDスポーツと評価されるスカイラインGT-Rが誕生したことで、その存在義務は果たしたということかもしれません。多くのファンも同じ想いを持っていると思いますが、MID4やMID4IIの発展形が路上を行き交い、街なかに佇み、そしてサーキットを駆け回る姿を見て見たかい、という偽らざる想いが、今も心のなかに過っています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
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  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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