ミッドシップ+4WD/4WSで新時代のスーパースポーツを目指したMID4
クルマの基本的なコンポーネントのなかでもっとも重量が重くかさばるエンジンを、ホイールベースの間に置くことは物理学的にも理にかなっています。それが証拠にフォーミュラでもスポーツカーでも、純レーシングマシンはエンジンをミッドシップにマウントするのが一般的になっています。
ミッドシップ+4WSを取り入れたMID4
そこでロードゴーイングの最高峰とされているスーパースポーツカーでは、ミッドシップ+4WDという基本パッケージを使用するケースが少なくありません。さらに4輪すべてで操舵を担当する4輪操舵(4WS)も併せ持つ、“ウルトラ”なスーパースポーツが企画されたことがありました。それが1985年に発表された日産MID4です。
WRCのグループSも想定されたパッケージング
当時は世界中のメーカーが、“夢のクルマ”とされるコンセプトカーやプロトタイプカーを競うように出展していましたが、そのなかでも白眉の存在となりました。
その理由としては、ミッドシップ・レイアウトや4輪駆動(4WD)/4輪操舵(4WS)など最新技術を盛り込んだことに加えて、自動車大国日本の大企業である日産が出展したこと。そして当時世界中のモータースポーツファンから注目されていた、世界ラリー選手権(WRC)の主役となることが予定されていたグループSへのコンバートも計画中との噂が高まっていたからです。
そもそも日産が、このタイミングでMID4のようなスーパースポーツカーを開発したのは、『901運動』の一環でした。これは「1990年代までに技術の世界一を目指す」クルマ作りを目標とした運動で、すべての車種においてエンジンやシャーシ、サスペンションなどの技術開発に力を注ぎ、ハンドリングを向上させるとともにデザインやクオリティも向上させるというものでした。
そして、BNR32型スカイラインGT-Rを筆頭に、FPY31型シーマやY31/32型セドリック&グロリア、R32型スカイラインやZ32型フェアレディZ、さらにはU12型ブルーバードやP10型プリメーラ、N13/14型パルサー、K11型マーチなど、数多くの名車、傑作モデルが続々と輩出されていきました。
MID4にはモノコックフレームを採用
それでは日産MID4のディテールを紹介していきましょう。まずボディ/フレームですが、こうしたショーモデルでは鋼管スペースフレームにパネルを貼ったモノコックフレームとすることが多いのですが、このMID4はモノコックフレームを採用しています。
ただし、通常ではほぼ直立とされるストラットの頂点を車両中心にセット。またロアアーム長を極力長くするとともに、ステアリング系のレイアウトを工夫することでトー変化とキャンバー変化が、ほぼ理想的となるジオメトリーを得ていました。
このジオメトリーではとくに、コーナリング中の対地キャンバーをゼロに近づけることで、コーナリングの限界性能を向上させていました。フロントと同様にリヤサスペンションもストラット式とされていますが、こちらはロアアームにワイドベースのダイアゴナルAアームを採用してHICASと組み合わせていました。
後輪駆動のミッドシップでは後輪の荷重が大きいことからコーナリングパワーを確保するためにタイヤ幅を拡大することが多いのですが、4WDでは一般的に、タイヤスリップを防ぐために前後のタイヤを同サイズとするのが基本となっています。こうなるとコーナリングパワーを引き上げることが難しくなりますが、MID4ではHICAS(4WS)と組み合わせることで、前後同サイズのタイヤを使用しながら充分なコーナリングパワーを確保していました。
エンジンは新開発された3LV6ツインカムユニット
エンジンは新開発された3L V6ツインカムのVG30DE型。シングルカムのVG30E型は、1965年の登場から20年近くが経ち旧態化してしまったL系ユニットの後継として1983年に、Y30系のセドリック/グロリアに搭載され世に出ていました。ですが、ツインカムヘッドが組み込まれたユニットはMID4に搭載され、フランクフルトでお披露目されることになったのです。
ちなみにVG30DEユニットは翌86年の2月にレパードに搭載されてデビューしています。これはレギュラーガソリン仕様で最高出力も185psに過ぎませんでしたが、MID4に搭載された仕様では、1989年に登場するフェアレディZ(4代目のZ32)に搭載されたプレミアムガソリン仕様とほぼ同スペックでした。
意外にコンパクトなボディサイズ
その新型エンジンはミッドシップに横置きでマウントされていました。ハンドリング性能を高めるためには、長すぎるホイールベースは厳禁とされていますが、このMID4でもエンジンを横置きマウントしたことで、少しホイールベースを切り詰めることになりました。
エンジンをミッドシップマウントしたこと以上に、技術的に大きな特徴となっていたのは4WDと4WSのシステムを組み込んだシャシーのパッケージでした。現在でこそ4WDや4WSが、高速走行時のスタビリティを高くキープすることは広く知られたころとなっています。ですが、当時はまだまだ「4WDは悪路(=低μ路)での走破性を高めるもので、4WSは小回りが利いて狭い道路で有効」といった認識が一般的でした。
スーパースポーツに相応しい軽やかなデザイン
MID4のデザインについても触れておきましょう。ボディは2ドアの2座クーペで、低められたノーズにはリトラクタブルライトが埋め込まれています。サイドビューではキャビン後部のBCピラーが一体化されているように見え、通常のクーペボディのようにも映りますが、じつはリヤデッキはフラットで、左右をパネルで、前方を直立するリヤウインドウ囲まれています。
II型でエクステリアデザインもガラッと一新
日産MID4は、1985年のフランクフルトショーでお披露目されたのち、同年の東京モーターショーで“里帰り”デビューを果たしています。さらに2年後の1987年に行われた東京モーターショーでは、改良モデルとなるMID4IIが登場しました。
まずはそのエクステリアデザインから紹介していきましょう。サイズ的には3サイズとホイールベースが、それぞれ4300mm×1860mm×1120mm、2540mmとなっていて、全高のみは不変でしたが、150mm長く90mm広く、ホイールベースも105mm延長されています。ひとまわり以上も大きくなった割には車両重量は1400kgと170kgの増加にとどめていました。
エンジンは縦置きに変更
その迫力を増したルックスを身に纏ったシャーシでも大きな変化が見られました。MID4では3L V6のツインカム24バルブのVG30DEエンジンを横向きに搭載していたのですが、新しいMID4Ⅱでは縦置きに変更され、より正確に言うなら縦置きで前後を逆転させていました。
またMID4IIでは前後のデフに、新たにビスカスカップリングを使ったデフが追加されていました。この進化したシャーシに取り付けられる前後のサスペンションもMID4の4輪ストラットから、フロントが、より低められたノーズと干渉しないよう、アッパーアームの位置が引き下げられたダブルウイッシュボーン式に。リヤにはダブルウイッシュボーンをさらに進化させたマルチリンクを開発、MID4と同様にHICASと組み合わされていました。
最終的にはツインターボが組み込まれたVG30DETTを搭載
最後になりましたがエンジンについても紹介しておきましょう。MID4でお披露目された3L V6ツインカム24バルブのVG30DEは、翌年2月のF31系レパードを皮切りに、次々と市販モデルに展開されていきました。今度のMID4IIはVG30DEから、ツイン・インタークーラー付きのツインターボが組み込まれたVG30DETTに発展していました。
MID4に比べて一段と完成度が高く、その市販化が期待されたMID4IIでしたが、とうとう日の目を見ることもなく今に至っています。