トヨタのル・マン4連覇も「童夢とのジョイントが」その第一歩だった
先ごろ行われたル・マン24時間レースでは、トヨタ(TOYOTA GAZOO Racing=TGR)が見事な1-2フィニッシュで4連覇。今シーズンから始まったハイパーカークラスのGR010 HYBRIDが、記念すべき大会を制することになりました。 そのトヨタが初めてル・マン24時間レースに挑戦したのは1985年。トヨタ系のチューナーとして知られるトムスと、国内屈指のコンストラクター、童夢がジョイントして行ったプロジェクトを支援する格好で、トヨタの“参戦”は始まっています。今回は、そんな童夢の大きな功績を2つ紹介しましょう。
功績その1:空力性能を追求し、風洞設備の開発でも第一人者に
童夢を設立した林みのるさんは、それ以前にも、故・浮谷東次郎選手のホンダS600にFRP製のボディカウルを装着した、通称“カラス”と呼ばれたレーシングカーや、マクランサの名を持つレーシング・スポーツやミニ・フォーミュラを製作するなどコンストラクター(レーシングカー製造者)として活動していました。
それらを開発していくなかで、空気力学の重要性(当時は空気抵抗の低減に重きが置かれていましたが)に気付いていきました。そして童夢としての最初の作品となったスーパースポーツカー「童夢-零」には、開発コンセプトのひとつとして低い車高があったのです。直接的には世界一車高を低くするために全高1000mm以下とし、結果的に童夢-零の全高は980mmにおさまっています。 これは「何か“世界一”となるものが欲しかった(林さん)」との想いもあったようですが、その底には空気抵抗を低減したい、との思想が息づいていたように思えてなりません。
童夢-零の開発では実際に風洞実験を行っています。大学にあった実験施設を使っての風洞実験で、林さん自身も「まだ何もわかっていなかった」と回想していましたが、先見の明があったのは確かです。そして童夢-零の開発を終えたあとは、車輌の空力を追求することに加えて、風洞施設の研究開発にも力が注がれていきました。 その後の80年代になると、レーシングカーの世界では“空力の時代”を迎えることになりました。それまでのメインテーマだった空気抵抗の低減よりもむしろ、負の揚力(マイナス・リフト、つまりはダウンフォース)の重要性にスポットがあてられることになるのです。
こうなると風洞施設でも、それまでのように、静止したモデルに風を当てるのではなく、路面を動かして走行状態を再現することが重要になってきました。そしてムービングベルトと呼ばれる動く路面の上でクルマと路面の関係をシミュレーションするようになったのです。 実際のレーシングカーでは対地効果(グランドエフェクト)が重視されるようになります。こうして開発されたクルマはグランドエフェクト・カーとかウイングカーと呼ばれるようになっていきます。童夢でもムービングベルトの開発が進み、2000年には米原に風流舎と呼ばれる、ムービングベルト式の50%風洞を持つ空力の研究開発施設を建設。とくにレーシングカーの開発では、メーカー各社の研究開発にもひと役買っていたようです。 ちなみに、1996年と1997年に全日本ツーリングカー選手権(JTCC)でチャンピオンに輝いたホンダ・アコードや、1997年に全日本GT選手権(現在のSUPER GTの前身)にデビューして以来トップコンテンダーとして参戦を続けるホンダNSX-GT/HSV-010GTは、童夢が開発した空力マシンとして高い評価を受けています。