“日本車ヴィンテージイヤー”の中の一台
Auto Messe Webをご覧の方なら“日本車のヴィンテージイヤー”をご存知だろう。それは1989年、平成元年のことで、この年、奇しくも後世に残る日本の名車が数多く登場した。車名を挙げると、ユーノス・ロードスター、日産スカイラインGT-R(R32)、スバル・レガシィ(初代)をはじめ、日産フェアレディZ(Z32)、ホンダ・アコード・インスパイア/ビガー、日産パオといった車種がそうだ。
さらに1989年前後の年を含めると、1988年の日産シルビア(S13)、1990年のホンダ初代NSX、日産プリメーラ(P10)などもある。言われているように1980年代中盤の好景気のなかで、そのころに開発されたクルマが次々と世に出たのがこの時期。勢いどのクルマも開発費がしっかりとかけられた力作揃いだった。そんななか、1989年10月に発売されたのが初代セルシオだった。
最新装備を引っ下げ、トヨタ製高級車として世界のライバルを追撃
ご存知のとおりセルシオは“LS”の名も与えられ、北米を中心に展開が決まった新たな高級車チャンネル“レクサス”のフラッグシップモデルとして開発された。言われていたようにターゲットは、キャデラック、メルセデス・ベンツ、BMWといった、すでに定評のあるプレミアム・ブランドのクルマたちのいる市場だった。
カタログには“いまだかつてない、滑らかな超高速走行を実現するため、まず、全周10kmの士別試験場の建設から始めた”と記されているが、そういう一生に一度あるかないかの経験に立ち会った当時のエンジニア、関係者のモチベーションは一体どこまで高まったのだろう? ちなみに士別テストコースの全景の空撮写真が使われたカタログのそのページのコピーは“この車から、クルマが変わります。”となっている。
贅を尽くした性能装備が秘められた和風の佇まい
ふたたびセルシオのディテールに話を戻すと、エンジンは新規開発の1UZ-FE型、V型8気筒DOHC、3968ccが搭載された。当時のスペックは最高出力(ネット値)260ps/5400rpm、最大トルク36.0kg−m/4600rpm。
装備面でも先進的なアイテムが投入されていた。オプティトロンメーターはスイッチオンでまず白い指針がブラックパネルに浮かび上がり、続けて文字盤が発光する仕組みのもの。マイコンプリセットドライビングポジションシステムは、2名分のシート、ステアリング、ドアミラー、ショルダーベルトアンカーの位置を記憶、ワンタッチで呼び出せた。“マイコン”の言葉づかいが時代を物語るが、当時としては高級な装備(機能)だった。
オプションには車内ファクシミリもあった
そのほかカタログには自動車電話や、グローブボックス内に格納するファクシミリも販売店装着オプションとして紹介されている。ほかにも超音波雨滴除去装置付きドアミラーや、Hiモードで払拭角度を狭めて効率的な作動を可能にしたワイパー(フルエリアワイピングシステム)なども搭載。今ではキーレスがあたり前だが、キーヘッドのボタンを押して車外からドアの施錠と解錠を行うワイヤレスドアロック(ブレードは内溝式)、シート表皮ごとに音をチューニングしたというスーパーライブサウンドシステム(DATも設定された)など、まさに贅を尽くしたクルマに仕上げられていた。