東京・晴海がイタリアになった日
スーパーカーブーム全盛時の1977年。東京・晴海がイタリアン・デザインの先見性に圧倒されたことがあった。世界に名だたる名カロッツェリアによる魅力的なコンセプトカーが一堂に会した夢のモーターショーでは、スーパーカーに魅せられた子どもたちに楽しい未来が待っていることが示された。
イタリアの人気カロッツェリアによる傑作が多数展示された
いま回顧すると非常に貴重かつ画期的な催しだった。いや、奇跡的なショーだったと言ったほうがいいのかもしれない。入場料が当時にしては高価な2000円だったため、子どもたちが溢れかえるというイベントにはならなかった。だが、日伊デザイン交流協会が主催し、ピニンファリーナ、ベルトーネ、ジウジアーロ、ザガート、ミケロッティ、ギアなど、イタリアの人気カロッツェリアによる傑作が多数展示された。
それが「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」で、異色のモーターショーだった。数多くのコンセプトカーだけでなく、トミタオートの協力によってスーパーカーも展示され、計34台が晴海国際貿易センター内を彩った。
魅力的なコンセプトカーが一堂に会した夢のモーターショー
今回掲載した往時の写真を快く筆者・高桑に提供してくれた永山 憲さんは、28歳のときに「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」を見学するために晴海国際見本市会場東館を訪れたのだという。地元は広島だが、東京で就職したらしく、魅力的なコンセプトカーが一堂に会した夢のモーターショーの開催を自動車雑誌などのメディアを通じて知ったそうだ。
永山さんは昔からクルマのデザインに興味があったらしく、そのため、「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」に対する期待値はハンパなものではなかったという。
「ずっとジウジアーロのことが好きだったんです。ピニンファリーナやギアも好きでしたが、おもにジウジアーロの作品を重点的に観ました。昔は外車のデザインがそれぞれ違って、非常に面白い時代でしたね」
ジウジアーロ好きが高じ、いすゞ・ピアッツァに乗っていたこともあるという永山さんにとって、世界のコンセプトカーが一堂に会したカロッツェリア・イタリアーナな心底高揚できるイベントだったに違いない。
ちなみに、永山さんは、それまでにもスーパーカー関連のショーを観に行ったことがあったという。そう、往時はスーパーカー関連のショーが毎週末開催されており、いまでは考えられないような状況だったのだ。誰も彼もがスーパーカーに魅せられていたブーム全盛時に6歳ぐらいだった筆者も、両親が連れて行ってくれた地元百貨店のイベントにてブルーのランボルギーニ・カウンタックLP400を間近で観ることができた。 あれから45年近く経ったが、初めて観たカウンタックLP400の雄姿をはっきり憶えている。きっと、永山さんも自分の目で初めて観たスーパーカーのことや、「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」でディテールを確認することができたコンセプトカーのカッコよさを一生忘れることはないだろう。