メッキバンパーとともに輝いていた時代
クルマのバンパーがメッキ製のものからボディ同色の樹脂バンパーに置き換えられていったのは、一体いつのころからでしょうか? 調べてみると70年代にはメッキ製のバンパーが主流でしたが、その後、ブラックアウトした樹脂製バンパーを経て80年代にはもう、ボディと一体感を強めた樹脂製のカラードバンパーが主流になっていました。
この樹脂製のカラードバンパーには形状記憶の物性があって、軽い衝突などだと一旦凹んだものがすぐに元の形状に戻ることから、オーナーにとって財布にやさしい装備と言うことができます。もっともバンパーの上、トランクリッドなどは通常のスチール製で、バンパーに凹みがないのにトランクリッドに大きな凹みが残っているクルマを見かけることも少なくありませんが……。それはさておき、メッキ製バンパーです。
「鰹節」がすでに存在した:たま電気自動車
戦後のまだ早い時期、1947年に発売された東京電気自動車のたま電気自動車には、直線的なメッキ製のバンパーに一対のオーバーライダーを組み込んだものが取り付けられていました。
東京電気自動車は立川飛行機の流れをくむメーカーで、現在の日産自動車の前身にあたります。そして座間にある日産ヘリテージコレクションでは、1947年式のたま電気自動車Type E4S-47 Iが展示されています。上下と左右は小さなRで折り返されていますが、ほぼ直線的/平面的なデザインとなっています。
これが戦後のバンパー発展史の原点、といったら大袈裟でしょうか。もちろん原点だからと言って古臭かったり安っぽかったりするという訳ではありません。“鰹節”と呼ばれるオーバーライダーも装着していましたから、豪華版ということもできます。
高級なバンパーの先駆け:トヨタ初代クラウン
そんなシンプルなバンパーにデザインの要素が大きく加わったケースが、1955年に発売されたトヨペット・クラウンでした。それまでもバンパーの両端を少しボディに沿わせる格好としたモデルもありましたが、明らかにデザインを意識していたのは初代クラウンからだったと記憶しています。
国内トップモデルのクラウンが採用していたから、このデザインのバンパーが高級に見えたのか、はたまたこのデザインのバンパーを取り付けていたからクラウンが高級に見えたのか。その判断について触れませんが、両端をボディに沿って曲げたデザイン処理、しかも立派な一対の“鰹節”さえ供えられたバンパーが、高級に見えるデザインだったのは間違いありません。
ボディラインに合わせた形状:三菱デボネア/ホンダS600
そんなボディラインに合わせこむデザインで究極と思えるのが1967年に登場した初代デボネアでした。バンパーの両端がボディのサイドに回り込んでいただけでなく、グリルから少しボディの両サイドが突き出していたのに合わせてバンパーも前方にせり出し、さらにグリル下部のラインに合わせてバンパーの上面が抑揚。ナンバープレートが取り付けられる部分では、ナンバーのサイズに合わせて凹んだ形状とするなど、まさに究極の合わせこみとなっていました。
またフロントほど大袈裟ではなかったものの、リヤバンパーもフロントと同様のデザイン処理がなされていました。こうした凝ったデザインで仕上げられていたために、“鰹節”などを装着していなくても、デボネアのバンパーには、辺りを圧倒する存在感と高級感が感じられました。
ちなみに、グリルに合わせてバンパーを曲げるという手法は、デボネアよりもひと足早く世に出たホンダS600でも使用されていました。
前モデルのS500が一直線のメッキバンパーを採用していたのに対して、S600ではエンジン排気量を拡大したことに対処する格好でラジエターのサイズも拡大されることになりました。ですが、それに伴って下方に延長されたラジエターグリルに合わせてバンパーも下方に湾曲したタイプに交換されていました。
ボディ一体化への流れ:トヨタ初代セリカ
こうしてS600やデボネアでは、デザインの領域に踏み込んだ格好のバンパーですが、そのデザイン処理を一層突き詰めていったのが1970年に登場したセリカでした。
前後ともに、またマイナーチェンジの前後を通じて、セリカのバンパーは、スタイリッシュなセリカのエクステリアを、いっそうスタイリッシュなものに仕上げていました。ここまで来るともう、素材がメッキを施したスチールというだけで、現在に繋がるボディと一体式の樹脂製バンパーと何ら変わりなくなっていたと言っていいでしょう。
メッキ+黒帯からカラードの時代へ:ホンダ初代シビック
もうひとつ、デザイン的にはまったく違ったアプローチで、メッキ製からカラードバンパーに移行していったのがシビックで使用されていたバンパーでした。これは1970年代のESV(Experimental Safety Vehicle=実験的安全車両)によく使われていた、シンプルで(無骨で?)チャンネル材風なバンパーで中央をブラックアウトしていたのが特徴でした。
のちに、センターの黒い帯にはラバーの緩衝材が貼り付けられるのですが、さらに時間を経て2代目シビックでは、初代のそれではメッキされていた部分がボディと同色に塗られたのです。そうした経緯があるからか、ホンダ各車も80年代にはカラードバンパー全盛となっていくのですが、バンパーの端から端までストライプ状に黒い帯が走っていたのがとても印象的でした。
番外編:かっこいい「分割型」
さて、デザイン的な面ではまったく違ったトライも行われていました。
例えば1969年に登場したいすゞ・ベレット1600GTRは、国産のメジャーなモデルとしては初めて2分割式のバンパーを備えていました。
それ以前にもホンダが1962年のモーターショーに参考出品したS360/S500のプロトモデルでは、二分割のバンパーが装着されていました。ただこちらは、市販モデルでは一般的な一直線のメッキバンパーに変更されていましたが。
バンパーに関してはもうひとつ、興味深いトライが見られました。それは1965年に登場したトヨタ・スポーツ800、愛称“ヨタ8”でした。バンパー本体は省略され、オーバーライダー自体が独立してグリルの左右に取り付けられていたのです。
このスタイルは1962年のモーターショーに参考出品された、プロトタイプのトヨタ・パブリカ・スポーツでも試されていましたが、1967年に登場した兄貴分のトヨタ2000GTでも継承されていました。
対衝突安全がキッチリと課せられている現在のレギュレーションでは、これがOKとされるかはまた別問題として、格好いい・悪いという評価軸では間違いなく、格好いいバンパーでした。
ところで、オーバーライダーのみのバンパーでは申し訳ないと思ったか(たぶんそうではないでしょうが)2000GTではヘッドライトの両脇にバンパー(風のパーツ)が取り付けられていました。