生い立ちが異なる日産が誇る名車「Z」&「R」を振り返る
2021年8月18日、新型フェアレディZが発表されて、がぜん盛り上がるクルマ好きたち。残念ながら発売はまだ先になるが、早くも大きな話題を呼んでいる。しかも、普段なら新型車が出たくらいでは取り扱わない一般誌でも新型フェアレディZを記事化するなど、「Z」に名は伊達じゃないことを感じさせてくれる。 一方で、日産にはプリンス自動車時代からの名車であるスカイラインから派生した「GT-R」がある。両車の生い立ちが少し異なることからか、あまり引き合いに出されることがない。そんな「Z」と「R」どちらが優れた名車であったのかを、昭和50〜60年代に自動車雑誌大好き少年だった自動車ライターが振り返ってみる。
当時の少年たちを虜にした「スカイライン」の名は偉大だった
少年時代に強烈なインパクトを与えてくれたのはスカイラインGT-Rだ。なぜなら親戚や学校の先生をはじめ、歴代スカイラインに乗っていた大人たちが身近にいたこと。加えて、日産の販売チャンネルが多数あったころ、プリンス店に電話をかけると「スカイラインの日産〇〇〇店です」と応対するなど、プリンスが日産と合併して久しい平成初期でもスカイラインの名を大事にしていた。つまり、スカイラインの名は身近であり偉大だったのだ。
それゆえハコスカなどはいまとなっては伝説の存在で、そのうえGT-Rだったら、もう雲上。当時、バブル真っ只中とあってイタリア製スーパーカーのほうが、カメラで撮影できる機会が多かったといったら決して言い過ぎではなかったはず。
そして1989年、R32型スカイラインGT-R(以下、BNR32)が発売されると、その高性能ぶりを各自動車雑誌が絶賛。R31型スカイラインGTS-R時代から、非GT-Rモデルがモータースポーツで優れた成績を残していたのに、BNR32ときたら、かつての連勝記録を塗り替えるのではないかというくらいにレースで圧倒的な強さを誇っていた。
北米市場でヒット! 日本車の地位を押し上げた存在
それに対してフェアレディZは初代から北米で成功、日本車が世界中で愛される歴史を切り開いた存在となった。「Gノーズ」(240ZGのロングノーズを呼ぶ通称、正式名はエアロダイナ・ノーズ」や「432」(4バルブ/3キャブレター/2カムシャフトを表す、Z432を指す呼称)という、マニア独特の呼び方も生み出した。そしてラリーやサーキットなど、モータースポーツでの実績も十分。
スカイラインとフェアレディZは、当時のTVドラマのなかでも大活躍していた時期だから、やはりどちらも甲乙つけがたい名車であったことは、言わずもがな。
ただ、当時少年だった筆者が個人的に惚れたZ31型フェアレディZ(前期型)は、自動車雑誌の評価は「デートカー」や「プロムナードカー」といった北米向け(=GTカー)という記述が多かったと記憶している。