フェラーリのエンジンを搭載したランチア・テーマもあった
そのなかでも中心的な存在だったのが、ランチア・テーマ。イタリアン・ブランドのなかでもことのほかエレガンスを重視した、ランチアのフラッグシップに相応しい佇まいのテーマは1984年に登場。スタイリングはG・ジウジアーロ(とランチア・デザイン)によるもので、ルーフ部の雨どいを視覚から排除したプレスドアは各社共通だった(アルファロメオロメオ164は別形状)。
全高を1435〜1415mmとタップリととった背筋を伸ばした端正な3ボックスセダンで、“錆がヤバい”のそれまでのイタリア車の通説を覆すべく、亜鉛系の塗装処理鋼板を大幅採用した。さらに、溶接部には6層の防錆被膜をはじめ、9工程25種類の処理を施し防錆対策が入念に行われていた。
FFを採用し、エンジン、トランスミッションはフロントアクスル上に搭載。エンジンは当初はバランサーシャフト付きの2Lの4気筒DOHCターボと2.8LのV6を設定する。さらに、フェラーリ製のオールアルミ90度V8、2927cc、32バルブを搭載した“8・32”が登場した。写真のカタログは、いずれも当時のインポーターだったガレーヂ伊太利屋のもの。
イタリアとの関係は突然ではなかったサーブ
もう1台、サーブの新世代フラッグシップとして1984年に登場したのが、それまでのモデル名よりも“0”を1桁増やして登場したサーブ9000だった。サーブがイタリアのメーカーと? と思うかも知れないが、じつはそれ以前にも、アウトビアンキA112の販売経験を持つなど、イタリアとの関係はティーポ4が必ずしも突然ではなかった。
スタイリングはランチア・テーマ同様にG・ジウジアーロが担当、外観は、ドアまわりは見るからにテーマと共通ながら、ハッチバックスタイルのリヤまわりはサーブのデザインだったという。フード先端を優しく丸く下降させていたり、黒い樹脂色バンパーを採用したりと、コスメティックによりしっかりとサーブ車になっていた。
インテリアも同様で、独特のシート形状や、ドライバーを囲むインパネなどがサーブ流。ただしイグニッションキーはセンターコンソールには置かれなかった。1988年になると、トランクが独立したノッチバックセダンの“CD”を追加している。手元にある西武自販の1987年当時のカタログには、4気筒の2LのターボとNAが載っており、いずれにも4速ATと5速MTが設定されている。
ジウジアーロデザインのフィアット・クロマ
さらに1985年に登場したのがフィアット・クロマ。それまでのアルジェンタ(1981年登場)に代わるフィアットのフラッグシップとして登場する。スタイリストはやはりG・ジウジアーロだが、ハッチバック付きという点ではサーブ9000と共通ながらCピラー、バックドアなどは専用のデザインだ。
日本へも少数台数だったが、当時のインポーターにより、2LのターボとNAが導入された。なお車名のクロマは2005年にワゴン風のスタイルで復活。が、前後して登場したセディチ(スズキSX4)のような、G・ジウジアーロとはいえやや“?”なスタイルに思えた。
スタイリングはピニンファリーナのアルファロメオ164
そして、ほかの3車よりもやや遅れて1987年にアルファロメオから登場したのが164だった。契約の遅れと、国営からフィアット傘下に収まったばかりの状況下での開発となった164は、当初はFR(それもアルフェッタなどと同様のトランスアクスル方式!)で計画され、最終的にティーポ4のFFプラットフォームを用いることになった経緯をもつ。
ウエッジシェイプがことのほか美しいスタイリングはピニンファリーナ(チーフはエンリコ・フミア)によるもの。このフォルムの実現のため、フロントサスペンションはストラットチューブをハブ前方に置き丈を抑える専用デザインを採用。内装もインパネの中央にポタンをズラリと並べた近未来的なものだ。搭載エンジンは、日本仕様ではアルファロメオでは“6”由来のV6の3Lを搭載。高性能版のクワドリフォリオも用意された。
快音を発して回るV6と、しなやかに姿勢を変えながらワインディングを走る164は、スタイリッシュなスポーティサルーンの典型といったクルマだった。ヘッドライトまわりがリデザインされたマイナーチェンジ後も(低速での乗り味がやや締め上げられ気味となったが)、そのコンセプトが貫かれた。
合理化が第一の目的だったとしても、4車がそれぞれのブランドの味、スタイル、走りをしっかりと表現しきっていたことはサスガというほかなかった。たとえ協業でも各社のこだわりが感じられたプロジェクトだった。