“ハードトップ” あのカッコいいスタイルはなぜ消えた?
昨今、あまり聞かなくなった自動車用語のひとつに「ハードトップ」がある。
ハードトップとはふたつの意味があり、ひとつはオープンカーにおいてソフトトップの対義語として使われ、布など軟らかい素材(ソフト素材)ではなく、樹脂や金属など硬い素材(ハード素材)でつくられたルーフを示す。
もうひとつはボディ形状。ボディサイドのウインドウの中ほどにBピラーを持たない車体構造のことだ(表現によっては4ドアでもハードトップはセダンとは違うボディタイプに分類される)。いずれもルーツをたどれば「オープンカーに硬い屋根を取り付けたスタイル」として同じところにたどり着くのだが、ここでテーマとするのは後者の「Bピラーのないクルマ」のことである。
Bピラーがないクルマ……いまではオープンカーを除けばメルセデス・ベンツやロールスロイスなどの極めて限られたクーペしか存在しないが、かつては日本でもたくさん販売されていたし、たくさん走っていた。古くからのクルマ好きなら「カッコいいクルマといえばハードトップ」というイメージを持っているのがごくごく当たり前だろう。
そう、ハードトップとはあの青春時代を思い出させる懐かしい存在なのだ。そこで、今回は、誰もが憧れた国産ハードトップ車を5台振り返ってみよう。
日産スカイライン ハードトップ (R30型)
80年代前半までの2ドアクーペはBピラーのないハードトップが常識だった。日産スカイラインは長い歴史を持つモデルだが、2ドアハードップをラインアップした最後の世代が、1981年8月に登場し、1985年8月まで販売していたR30型。「RS」をラインアップした世代だ。
日産スカイライン 4ドアハードップ (R31型)
いっぽう1985年8月から販売されたR31型は、2ドアモデルは「ハードトップ」から「クーペ」へとボディ形状が変わり、Bピラーが備わってリヤクオーターウインドウの開閉機構もなくなってしまった。
そして、4ドアにはスカイラインの歴史上はじめてのハードトップが用意されて話題になった。4ドアモデルは「セダン」と「ハードトップ」の両方が用意されたのだからなんとも贅沢な話だ。今にしておけば、どちらかだけでよかったと思うが、バブル直前のイケイケな時代のクルマに対してそんな突っ込みは野暮だろう。
トヨタ・カリーナED (160型)
1985年にデビューしたカリーナEDは世の中に大きな衝撃を与えた。4ドアなのにクーペのような雰囲気を持っていたからだ。今でこそ珍しくないが、当時はそんな4ドアが手ごろなクラスにはなかったのだ。
ボディ形状はもちろん、ハードトップ。価格的にソアラに手が届かないナウでアーバンな若者がこぞって購入したトレンディなクルマだ。
日産ローレル (C33型)
スカイラインは1989年5月デビューのR32型でピラーレスハードトップが廃止されたが、同じく日産のセダンでもローレルは違った。
日産ブルーバード ハードトップ (U12型)
1987年に登場したU12型のブルーバードといえば、「ATEESA」というブルーバード初の4WDを搭載したことで記憶に残っている人も多いだろう。じつは、このクルマにもピラーレスハードトップが展開されていた。ブルーバードとしてヒットした最後の世代であると同時に、ピラーレスハードトップを用意した最後の世代でもある。
ところで、ピラーレスハードトップはどうして消えてしまったのか? 理由はふたつ考えられる。
ひとつは側面衝突時の対応。横から突っ込まれたときの、乗員の保護性能向上だ。真横にピラーがあるかどうかで車両の変形度合いは大きく変わってくる。変形することで衝撃を吸収する前方や後方と違い、側面衝突の場合は車両の変形が生存空間を脅かすのに直結し、乗員へダメージを与えることになる。
また、Bピラーがないことは車体剛性上も不利で、走りを考えたらあるに越したことはない。
もちろん、オープンカー、そして今でも一部のハイエンドクーペにはBピラーがないので、Bピラーレスのクルマ作りも不可能ではない。しかし、そのためには車体の補強が必要となって重量が増し、コストもかかる(そう考えるとあの価格とあの車両重量で実現しているマツダ・ロードスターやダイハツ・コペンは凄い)。メルセデス・ベンツやロールスロイスのようなコストを厭わず補強に出るハイブランドのクーペならそれでもいいかもしれないが、一般的な車種にピラーレスを採用するのは難しいだろう。
あのとき以来、安全や剛性アップと引き換えに、自由で堅苦しくない雰囲気を失ってしまった。ただ、それだけのことではあるが……。