カルソニック・ブルーバード(U12)
ラリーでも強さを発揮し1988年と1990年にシリーズを制覇
1988年、日本ラジエーターからカルソニックへの社名変更により、サポート車両のスポンサーロゴもNICHIRAからCALSONICに切り替えられた。1987年まではシルエットフォーミュラ→グループC(プロトタイプスポーツカー)カテゴリーのみのサポートであったが、この年から2年間、全日本ラリー選手権にも参入。1987年にニスモ/オーテック/日産工機の3社のコラボで誕生した日産のラリーウェポン「U12ブルーバードSSS-R」で戦う綾部美津雄/森哲也選手、伊藤雅之/乾哲司選手にスポンサードしている。
1.8LのSSS-R前期型は専用チューンのエンジン(10ps/1.5kg-mアップの185ps/24.5kg-m)、クロスミッション、ロールケージ、ふたり乗りというスパルタンな仕様で、オプションも豊富だったため即ラリーに参戦できる実力を持っていた。
カラーリングは翌年からなじみ深いオールブルーにホワイトのロゴとなったが、1988年は数少ないホワイトとブルーの2トーン仕様であったのが特徴(このカラーはそのほかに1993年のGT選手権のカルソニックGT-Rがある)。
デビューイヤーは綾部選手が最高峰のC部門チャンピオンに輝くなど最高のスタートを切っている。翌年もC部門に参戦。綾部組はそのままスポンサードを継続したが、もう1台は前年の伊藤組に代わって、神岡政夫/中原祥雅組をサポートしている。前年チャンピオンの綾部はギャランVR4にスイッチした桜井幸彦に後塵を期してしまったが、1990年には8戦4勝でブルーバードを2度目の栄冠に導いた。
パルサーGTI-R(N14)
わずか1勝で終わったがブルーバードに続き1991年までサポート
1990年の全日本ラリー選手権は8戦開催されたが、カルソニックのサポートを受けた綾部選手は6戦を終えた時点で、ブルーバードでC部門のチャンピオンをほぼ手中に収めた。そこで残り2戦、WRC(世界ラリー選手権)に先駆けてデビューしたばかりのパルサーGTI-Rを実戦投入した。
ブルーバードよりもコンパクトなボディを持つパルサーに、ブルーバード譲りの4WDシステムとGT-R譲りの多連スロットルを組み込んだ専用のSR20DETエンジンを搭載。当時のWRCにおける勝利の方程式ともいえる、コンパクトでハイパワーな4WDというパッケージを盛り込んだ期待のマシンだった。
カルソニック・パルサーはブルーバードと同じく、ブルー×ホワイトロゴのカラーリングを採用。成績は振るわなかったが、来るべきシーズンに向けての熟成は着々と進んでいた。
1990年の好成績もあって、1991年もカルソニックは綾部選手のスポンサードを継続したが、パルサーはボディが小さすぎることによるさまざまな悪癖が露呈。初期トラブル続きでリタイヤが多く、この年は1勝を挙げるのみに終わってしまった。日産ワークスによるWRCチャレンジはわずか1年で見切りを付けて撤退したが、国内ラリーは継続して使用され、1994年まで日産系チームの主力マシンとして活躍した。
アルティマ(L33)
オーストラリアのスーパーカーレースに1度だけ登場
2017年、オーストラリアで開催される、市販車に大排気量V8エンジンを搭載するFR車で争われるレース「ヴァージン・オーストラリア・スーパーカー・チャンピオンシップ(現在はRSCレプコ・スーパーカー・チャンピオンシップに名前が変更)」。この第10戦サウンダウンに、カルソニックカラーに彩られた日産アルティマ(3代目ティアナの兄弟車)が登場している。市販車は2.5Lの直4と3.5LのV6であったが、レース車両は5.6LV8エンジンを搭載し、650ps/67kg-m以上を発揮。最高速は300km/hに到達するマシンだ。
これはスポンサードではなく、1964年にオーストラリアで初めて開催された耐久レースの歴史を祝うために、毎年耐久レースの開幕戦となるレースが「レトロラウンド」と呼ばれ、各チームがお祭り的要素として、そのメーカーのヒストリーにちなんだオリジナルのレトロカラーを施している。この年は北米で戦ったダットサンカラーのほかに、日本のモータースポーツで長い歴史を持つカルソニックカラーが選ばれたというわけだ。
カラーリングは1990~1993年にグループAレ―スに参戦したカルソニック・スカイラインのものがベースとなっており、黄色いフロントウインドウのハチマキや楕円形のNISMOステッカーなど、当時の雰囲気を採用するなどレトロチックに仕立てられていた。なお、このカテゴリーにおける日産ワークス活動は2018年で終了している。