ランボルギーニの経営難に振り回された悲運のプロトモデル
1963年に設立されたアウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA(Automobili Ferruccio Lamborghini SpA)は当初、フロントに3.5LのV12エンジンを搭載し後輪を駆動する、コンサバティブなパッケージングのグランツーリスモの350GTをリリース。 引き続き400GT、イスレロ、ハラマ、そしてエスパーダとFRのモデルを投入したあとに、1966年からはV12をミッドシップに搭載したモデルが主流となってきました。これが“ビッグ・ランボ”と呼ばれるランボルギーニのフラッグシップモデル群ですが、その一方で70年代に入ってからはV8をミッドシップに搭載する“ベビー・ランボ”が登場してきます。 現在ではガヤルドからウラカンへと続くV10搭載モデルが第二世代として後継していますが、V8を搭載した第一世代の集大成となったモデルが1981年に登場したジャルパ(Jalpa)。今回紹介するプロトタイプはそのオープンモデルです。
ランボルギーニ初のV8モデルはウラッコ
1970年に登場した“ベビー・ランボ”の諸作はウラッコでした。ランボルギーニの創始者であるフェルッチオ・ランボルギーニが最大のライバルと意識していたフェラーリにも、ディーノと名付けられたスモール・フェラーリがありました。当時のディーノは、206GTの後継となった246GTでしたが、ミッドシップでは一般的な2シーターでした。 これに対してランボルギーニは、より多くの販売台数を期待して、同じミッドシップ・レイアウトながら2+2のパッケージを採用していました。これはスポーツカーのロングセラーとなっていた、ポルシェ911を意識したとされています。実際に3年後にはフェラーリも2+2のディーノ308GT4を投入することになったのですから、フェルッチオにしてみれば“してやったり”の想いは強かったはずです。 しかし、実際のところ+2の恩恵は期待したほどではなかったようで、ウラッコの発展モデルとなったシルエットでは2シーターに変更。その後継モデルとなったジャルパでも2シーターのパッケージが継承されていました。
継承されたと言えば、Bピラーより前方のルーフを取り外してオープンエアーを楽しめる“簡易型”のオープントップ、タルガトップはジャルパでも採用されていました。地元イタリアでもそうですが、最大マーケットとなる北米でも、オープンエアーは必須のテーマ。そう言えばフェアレディZもTバールーフを採用していましたね。
ウラッコ&シルエットに搭載されていたエンジンを、ストロークを伸ばして3.5Lまで排気量拡大したV8ユニットにコンバート。タルガトップを備えた2シーターの2ドアクーペというコンセプトをシルエットから踏襲したジャルパですが、シャーシは、2+2シーターだったウラッコと基本的には共通で、ホイールベースも2450mmで変わりありませんでした。