ランボルギーニの経営難に振り回された悲運のプロトモデル
1963年に設立されたアウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA(Automobili Ferruccio Lamborghini SpA)は当初、フロントに3.5LのV12エンジンを搭載し後輪を駆動する、コンサバティブなパッケージングのグランツーリスモの350GTをリリース。
ランボルギーニ初のV8モデルはウラッコ
1970年に登場した“ベビー・ランボ”の諸作はウラッコでした。ランボルギーニの創始者であるフェルッチオ・ランボルギーニが最大のライバルと意識していたフェラーリにも、ディーノと名付けられたスモール・フェラーリがありました。当時のディーノは、206GTの後継となった246GTでしたが、ミッドシップでは一般的な2シーターでした。
継承されたと言えば、Bピラーより前方のルーフを取り外してオープンエアーを楽しめる“簡易型”のオープントップ、タルガトップはジャルパでも採用されていました。地元イタリアでもそうですが、最大マーケットとなる北米でも、オープンエアーは必須のテーマ。そう言えばフェアレディZもTバールーフを採用していましたね。
ウラッコ&シルエットに搭載されていたエンジンを、ストロークを伸ばして3.5Lまで排気量拡大したV8ユニットにコンバート。タルガトップを備えた2シーターの2ドアクーペというコンセプトをシルエットから踏襲したジャルパですが、シャーシは、2+2シーターだったウラッコと基本的には共通で、ホイールベースも2450mmで変わりありませんでした。
ジャルパのデザインはベルトーネではなかった?
その上屋に架装されたボディは、ウラッコ&シルエットと同様にカロッツェリア・ベルトーネがデザインを担当していました。ウラッコ&シルエットのデザインを統括したのは、当時ベルトーネでチーフデザイナーを務めていたマルチェロ・ガンディーニでした。彼は1979年にベルトーネから独立しており、1981年に登場したジャルパのデザインを統括したかは明らかになっていません……。
いずれにしてもジャルパは、ウラッコ&シルエットから発展したデザインで仕上げられています。プロデューサーとしてカロッツェリア・ベルトーネが力を発揮したのでしょう。
フェルッチオ・ランボルギーニ博物館に展示されているジャルパ・スパイダー・プロトタイプ
そんなジャルパに、タルガトップではなく本格的なオープンシーターを、との意向で開発されたプロトイプが、今回紹介する1台。ジャルパ・スパイダー・プロトはフェルッチオ・ランボルギーニのプライベートコレクションを発展させた、フェルッチオ・ランボルギーニ博物館(Ferruccio Lamborghini Museum)で出会った個体です。
もっともアトンは、ウラッコ&シルエットからジャルパへと発展していく第一世代の“ベビー・ランボ”に共通したシャーシを使用していましたから、ベースがジャルパかアトンか、というのは大きな問題ではないでしょう。
ただし、これがランボルギーニのリクエストで作られたのではなく、ベルトーネがランボルギーニを支援する目的で製作されたことは大きな話題になりました。じつは70年代から80年代初頭にかけて、稼ぎ頭だったトラクター部門の不振をきっかけに、ランボルギーニは経営危機に直面し続けていました。
そうした経緯もあって、ジャルパ・スパイダーが市販されることはありませんでした。実際には1987年からランボルギーニを傘下に置いていたクライスラーの決断により、1988年にはジャルパそのものの生産が終了しています。